...倫理學説に非ずして楠公自らの心事ならむのみ...
高山樗牛 「美的生活を論ず」
...ちる葉のうつくしさよ逢ひにゆく袂ぐさを捨てる・誰かくればよい窓ちかくがちやがちや(がちやがちやはくつわ虫)病中・寝てゐるほかないつく/\ぼうしつく/\ぼうし(楠)・トマト畠で食べるトマトのしたたる太陽・つくつくぼうしがちかく来て鳴いて去つてしまう(マヽ)八月廿一日晴...
種田山頭火 「其中日記」
...小松の若先生でも楠先生でも...
寺田寅彦 「追憶の医師達」
...前社長楠本正敏男は新たに下野(しもつけ)の実業家福田英助君に社を譲り渡してしまった...
中里介山 「生前身後の事」
...大塚楠緒子(おおつかなおこ)女史の面影(おもかげ)でした...
長谷川時雨 「大塚楠緒子」
...楠緒さんだったということに気がおつきなされたのでした...
長谷川時雨 「大塚楠緒子」
...国泰寺の大きな楠も根こそぎ転覆してゐたし...
原民喜 「夏の花」
...熊楠いわく、インドでも〈柳宿は蛇に属す、形蛇のごとし、室宿は蛇頭天に属す、また竜王身光り憂流迦(うるか)といい、ここには天狗と言う〉...
南方熊楠 「十二支考」
...熊楠謂く、此二名が一神を指すを立證するに最もよき文句は、梁朝に勅撰された經律異相卷四一に羅閲城人民請佛經から引た者だ...
南方熊楠 「毘沙門の名號に就いて」
...成る程熊楠は、攝・河・泉三國の太守同樣毘沙門の申し子といふ事で、小兒の時、小學教場でさえ毘沙門の咒を誦した位い之を信仰したが、四十過て一切經を通覽せしも件(くだん)の梵漢辭彙に載せた話を見ず...
南方熊楠 「再び毘沙門に就て」
...楠公の為めに慷慨の涙をそゝぎ...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...その楠木の手の者に送られてお帰りあるなどとは」「ま...
吉川英治 「私本太平記」
...――ほか楠木や名和の隊も突進してゆき...
吉川英治 「私本太平記」
...楠木正行との情話に仕立てあげてある「弁(べん)ノ内侍(ないし)」のことなどもまた...
吉川英治 「私本太平記」
...昨日までの日本史では大楠公としてきた過去の忠誠の象徴である...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...楠木正成霊(くすのきまさしげれい)源光圀(げんみつくに)造立(ぞうりゅう)と...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...女楠木(くすのき)と云ってもいいでしょう」「女は...
吉川英治 「松のや露八」
...楠平は、わっと両手で顔を抑えながら五、六歩ほど蹌(よろ)めいた...
吉川英治 「夕顔の門」
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