...私は宮崎湖處子、金子馬治、野々村戒三等の早稲田派は申すまでもないが、矢島楫子女史、大関和子、三谷民子女史とも相識り、また基督(キリスト)教界の元老押川方義、植村正久、内村鑑三、松村介石、本田庸一、小崎弘道、服部綾雄等の諸先生にも教えを受ける機会を得た...
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」
...淡路の假屋から植村文樂軒(本姓は柾木)と云ふ人が現れて...
竹内勝太郎 「淡路人形座訪問」
...官権党は京都の植村府知事...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...私の本名は、植村宗一で、植を二分して、直木と匿名にし、当時三十一であったから、直木三十一、翌年三十二と、一目上りに変えてきて、三十五で止めたのであるが――この与一兵衛は、大和国箸尾村の土豪であった...
直木三十五 「死までを語る」
...二人は「植村はええな」と...
直木三十五 「死までを語る」
...植村出羽の邸角まで来ると「やれやれ」益満が...
直木三十五 「南国太平記」
...植村家安泰のため...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...上總國(かずさのくに)勝浦一萬一千石の領主植村土佐守...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...植村家で名題の腕利き...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...枕に近く一脚の机を据ゑたるは、折ふし硯々と呼び、書物よむとて有し學校のまねびをなせば、心にまかせて紙いたづらせよとなり、兄といへるは何心なく積重ねたる反古紙(ほごがみ)を手に取りて見れば、怪しき書風に正體得しれぬ文字を書ちらして、是れが雪子の手跡かと情なきやうなる中に、鮮かに讀まれたるは村といふ字、郎といふ字、あゝ植村録郎(うゑむらろくらう)、植村録郎、よむに得堪へずして無言にさし置きぬ...
樋口一葉 「うつせみ」
...否(いや)植村(うゑむら)も氣(き)が狹(せま)いからで...
樋口一葉 「うつせみ」
...左樣(さう)いへば植村樣(うゑむらさま)が無(な)かつたら天下(てんか)泰平(たいへい)に治(をさ)まつたものを...
樋口一葉 「うつせみ」
...その十二蘭軒が泉豊洲の門下にあつた時、同窓の友には狩谷斎(えきさい)、木村文河(ぶんか)、植村士明、下条寿仙(げでうじゆせん)、春泰の兄弟、横山辰弥等があつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...植村士明、名は貞皎、号を知らない...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...植村貞皎(ていかう)の大坂に之(ゆ)くを送る詩がある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...また府知事植村氏其他諸有志に勧めて博覧会を仙洞御所に開き...
與謝野禮嚴 「禮嚴法師歌集」
...植村与五右衛門の五人が...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...植村道治君の手により再版をおこすことになった...
和辻哲郎 「孔子」
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