...「霜月」は、日本のシンガーソングライター、柴田淳のアルバムタイトル...
...柴田とはそれが二度目の応対だったが...
豊島与志雄 「立枯れ」
...これが縁で袖摺り合う間、二人は十年の知己の気分になって、ここで、おたがいに携帯の弁当を開き、水筒の水を啜(すす)って、会談多時でありましたが、青年は食事中に、歴史的知識を兵馬に授けました、「ここです、この場所が、柴田勝家じだんだの石というのです、織田信長が本能寺で明智のために殺された時、柴田勝家は北軍の大将として、佐々、前田らの諸将を率いて、越後の上杉と戦っていたのですが、変を聞いて軍を部将に托して置いて、急ぎ都をさして走り帰ったのですが、この、柳ヶ瀬のこの地点へ来ると、もはや羽柴秀吉が中国から攻め上って、山崎の一戦に明智を打滅ぼしたという報告を、ここで受取ったものですから、柴田が、猿面郎にしてやられたりと、地団駄を踏んだという言いつたえがあるのです」「そうでしたか...
中里介山 「大菩薩峠」
...その実柴田は俳優にでもありそうなタイプのやさしい顔のもち主であったので...
平林初之輔 「誰が何故彼を殺したか」
...柴田 ――しかし...
三好十郎 「廃墟(一幕)」
...柴田 なんと言うことを――欣二 お父さんにゃ...
三好十郎 「廃墟(一幕)」
...柴田常庵は柴田芸庵(うんあん)の子だと云ふ...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「音にきこえた鬼柴田(おにしばた)のふところ刀...
吉川英治 「神州天馬侠」
...柴田方(しばたがた)では一方(ぽう)の軍師(ぐんし)とあおがれていた上部八風斎(かんべはっぷうさい)――すなわち...
吉川英治 「神州天馬侠」
...もと柴田家(しばたけ)の浪人(ろうにん)上部八風斎(かんべはっぷうさい)こと...
吉川英治 「神州天馬侠」
...柴田権六の兵千人...
吉川英治 「新書太閤記」
...逃げ帰った叛軍(はんぐん)の将、柴田権六は、「この上は、身に代えて」と、頭を剃(そ)り、鎧(よろい)をすてて、法衣(ころも)になった...
吉川英治 「新書太閤記」
...――柴田どのすら恐れ入っている」「そのかわり...
吉川英治 「新書太閤記」
...こう二者は共に柴田の直臣だ...
吉川英治 「新書太閤記」
...御辺の来られる前からもうもう柴田殿の気色には触れまいと...
吉川英治 「新書太閤記」
...柴田殿の陣所へと落してくれい...
吉川英治 「新書太閤記」
...生涯の思い出多き――鬼柴田の名と共に今日まで陣営に掲げて来た――金箔捺(きんぱくお)しの御幣の馬簾(ばれん)を自身の手に取って...
吉川英治 「新書太閤記」
...柴田をこそ頼み給ひしに...
吉川英治 「新書太閤記」
...その以前、信長の在世中には、柴田、丹羽(にわ)、滝川と、際立(きわだ)って、羽振りのよかった一人だけに、かれの没落は、また一歩の時の推移を思わせたものだった...
吉川英治 「新書太閤記」
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