...枇杷島橋(びわじまばし)を渡って西の方へ向いて...
中里介山 「大菩薩峠」
...枇杷島橋(びわじまばし)にさしかかる...
中里介山 「大菩薩峠」
...名古屋の枇杷島まで持ち越されたにゃ弱ったね」「そちゃ...
中里介山 「大菩薩峠」
...そんなことは、道庵に聞かねえたって、もっと安直に聞けるところがありそうなものだが、聞かれて知らねえというのも業腹だから、後学のため教えてつかわそう、そもそも三ぴんというのは……」この時、道庵は手に持っていた青竹を橋の欄干のところへ静かに置き、懐中へ手を入れたと見ると、例の畳んだ奉書を取り出して物々しくおしいただき、それを繰りひろげて高らかに読み出しました――「そうれ、ツラツラおもんみるに、三一(さんぴん)とは三と一といふことなり、三は三なれども一はまたピンともいふ、ここに於て三両一人扶持(ぶち)をいただくやからをすべて三ピンとは申すなり、まつた、折助といふは、柳原河岸その他に於て、これらの連中が夜鷹の類を買ひて楽しむ時、玉代として銭の緡(さし)を半分に折りて差出すを習ひとするが故に、折助とは申すなり、それ中ごろの折助に二組の折助あり、一つを山の手組といひ、一つを田圃組(たんぼぐみ)といふ、その他にも折助は数々あれども、この二つの折助の最も勢力ある山の手組の背(うし)ろには、百万石の加賀様あり、田圃組の背ろには鍋島様が控へてゐる故とぞ申す、もとより御安直なる折助のことなれば、天下国家に望みをかける大望はなけれども、これら大名達の威光を肩に着て諸大名屋敷の味噌すり用人と結託し、人入れ稼業を一手に占めんとする企みのほど、恐るべしとも怖るべし、帰命頂礼(きみようちようらい)、穴賢(あなかしこ)」道庵が、枇杷島橋の上で、天も響けとこういって読み上げた勧進帳もどきを聞いて、「こいつが、こいつが」金十郎がいきり立つと、安直がしゃしゃり出て、「あんたはん、三ぴんや言いなはるが、三両だかて大金やさかい、一人扶持かて一年に均(なら)してみやはりまっせ、一石八斗二升五合になりまんがな、今時、諸式が上りはって、京大阪で上白(じょうはく)一桝(ひとます)が一貫と二十四文しますさかい、お金に換えたら十八両六貫三百六十八文になりまんがな、それにお給金三両足しますとな、たっぷり二十両がとこありまんがな、大金じゃがな、そないに三ぴん三ぴん言うとくれやすな、チャア」これを聞いて道庵が、さては、こいつ、阪者(さかもの)の出来損ないであったか、なるほどみみっちい! と感心していると、前面からのしかかった紺看板が、「ファッショ」「ファッショ」ファッショ、ファッショで道庵を揉(も)みくちゃにしようと試みる...
中里介山 「大菩薩峠」
...枇杷島橋(びわじまばし)の上で...
中里介山 「大菩薩峠」
...つまり先刻道庵先生がファッショイ共を相手に一代の武勇をふるった枇杷島橋の方面からです...
中里介山 「大菩薩峠」
...枇杷島(びわじま)の青物市場へ青物をつけて行った一頭の馬が...
中里介山 「大菩薩峠」
...かえって枇杷島橋(びわじまばし)での藪蛇(やぶへび)...
中里介山 「大菩薩峠」
...枇杷島橋(びわじまばし)以来の面ぶれ...
中里介山 「大菩薩峠」
...西春日井(にしかすがい)の部落から枇杷島(びわじま)のほうへ向って...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??