...「ところは本所松坂町――といふぢやないか...
薄田泣菫 「茶話」
...伊勢の松坂へ出かけて...
谷崎潤一郎 「紀伊国狐憑漆掻語」
...松坂屋は感じのよい百貨店...
種田山頭火 「旅日記」
...松坂屋の一件を素っぱ抜いてあげますよ」とお角さんが言いました...
中里介山 「大菩薩峠」
...先刻の松坂木綿(まつざかもめん)らしい粗末な綿入れを着た娘とは似も付かぬ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...用人松坂彦六は呆氣(あつけ)に取られて居りますが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...長藩当路も承諾したから、翌春萩(はぎ)から博多(はかた)へ渡って薩藩亡命北条右門だの、平野国臣(ひらのくにおみ)だの同志と逢い、帰京後京都の山口薫次郎、小泉仁左衛門(にざえもん)、松坂屋清兵衛、大和の豪家村島長兵衛父子、その分家で雲浜の後妻千代の実家村島内蔵進(くらのしん)、医者の乾(いぬい)十郎、木綿問屋の下辻又七、肥後の松田重助、前記備中の三宅定太郎その他と協議してことを運び、一方長州藩は京都藩邸留守居宍戸(ししど)九郎兵衛を物産取組内用掛(ごないようががり)に任じ、大阪に販売所を設け長州から蝋、半紙、塩、干魚、米を山城丹波大和諸州へ、京阪および大和から呉服類、小間物、菜種(なたね)などを長州方面へ、相互に販路を開拓することとなって、雲浜処刑後も継続した...
服部之総 「志士と経済」
...木賀の松坂屋は其旅寓である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...松坂屋の前へ参りましたが...
夢野久作 「東京人の堕落時代」
...神子上典膳(みこがみてんぜん)時代一「松坂へ帰ろうか...
吉川英治 「剣の四君子」
...松坂などの町々はもちろん伊勢は部落の方まで一円に黒煙(くろけむり)をあげていた...
吉川英治 「剣の四君子」
...(これは伊勢松坂のさるお方から...
吉川英治 「新書太閤記」
...松坂あたりの人々のあいだでは...
吉川英治 「新書太閤記」
...そのまま松坂町へ止まるようにという旨を兵部から受けていた...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...ふたりはぶらりと松坂町へ帰って来た...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...松坂町から通うのは...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...そしてすぐ、再び、松坂町へ戻って、上野介の帰りを見張っていた...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...伊勢商人ののれんを全国的に売った伊藤松坂屋などの祖も...
吉川英治 「随筆 新平家」
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