...日本の戦国時代、直隷地方は松前氏の支配下にあった...
...松前侯が掘りかけた金鑛もあるさうだし...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...その遺物遺跡を見るに、世界のあらゆる石器時代の土器に比して優位をしめてゐる程であるとも言はれ、今の北海道アイヌの祖先は、古くから北海道に住んで、本州の文化に触れること少く、土地隔絶、天恵少く、随つて石器時代にも、奥羽地方の同族に見るが如き発達を遂げるに到らず、殊に近世は、松前藩以来、内地人の圧迫を被ること多く、甚しく去勢されて、堕落の極に達してゐるのに反し、奥羽のアイヌは、溌剌と独自の文化を誇り、或いは内地諸国に移住し、また内地人も奥羽へ盛んに入り込んで来て、次第に他の地方と区別の無い大和民族になつてしまつた...
太宰治 「津軽」
...松前蝦夷地の風俗の聞書として...
知里真志保 「アイヌ宗教成立の史的背景」
...蝦夷松前などゝ、小田原のひとびとは囚人だけのくるところのやうにもうしてをりますが、どうして、北海道はなかなかひらけたところでございます...
辻村もと子 「早春箋」
...リコルヅと松前奉行服部備後守との會見によつてロシヤ側の希望は江戸へ申送られ...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...昔に変らぬ剰談(じょうだん)ばなしの中にそれとつかず泰平の世は既に過ぎ恐しい黒船は蝦夷(えぞ)松前(まつまえ)あたりを騒がしている折から...
永井荷風 「散柳窓夕栄」
...先代松前屋のもので...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...先代松前屋の娘お君を邪魔にし...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...離屋は松前屋が娘に遺したものだと申し...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...まず、「ボムベンおよび焼玉を放発して」も日本を開港させずにはおかぬという凄文句の手紙で五〇年代があける――「……アメリカ通商のためその湊港を開き、かつサンフランシスコより、上海広東に通路すべき蒸汽船のため、松前、対馬、琉球の地に、石炭場を設る趣向を促し、もしその談判を将軍の方および執政が拒むにおいては、日本政府承服に及ぶまで、その都府にボムベンおよび焼玉を放発して、国中の湊港を閉塞し、恨(うらみ)を日本国に晴さん、この意頻(しき)りに止(やま)ざる所なり云々」(一八五〇年、元ニューヨーク州外事局長A・H・パーマーより、長崎オランダ商館長レフィーソンに送った私信、実質は非公式の外交文書である)...
服部之総 「汽船が太平洋を横断するまで」
...松前方面をいれたこの「道南」一帯は...
服部之総 「望郷」
...松前や筑紫や室(むろ)の混り唄帆を織る磯に春雨ぞ降るこの歌はどういふものかあまり本に出て居ない...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...また曾槃の『成形図説』には「南部津軽松前及(マタ)は...
牧野富太郎 「植物記」
...松前家が一たび松前の封を失つて...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...藩主松前徳広(のりひろ)は江刺にゐて...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...官艦は松前を砲撃す...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...昨十七日昼九時松前落城之吉報有之候由...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...背後の松前の山々と小島大島とは隠れてしまって...
柳田国男 「雪国の春」
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