...詩人・李白が詠んだ「黄鶴楼送孟浩然之广陵」は有名です...
...李白の叙情詩「春望」に影響を受けた...
...詩人李白の「庐山谣」は長歌行で書かれている...
...全唐詩の中でも、李白や杜甫などの詩人の作品が特に有名である...
...だから人生はやはり酒でも飲めと李白はいふのであらうが...
會津八一 「一片の石」
...孟浩然や李白が涙を流して眺め入つた石碑は...
會津八一 「一片の石」
...恐らくは当年の酔李白も――などと考えし所を見れば...
芥川龍之介 「北京日記抄」
...芥川の一盃一盃は、李白の山中對酌、兩人對シテ酌ム山花開ク一盃一盃復タ一盃とは事かはつて、死ねる藥の一盃一盃をいつてゐるのだ...
小穴隆一 「二つの繪」
...戸には李白一人が画(か)いてあつて...
薄田泣菫 「茶話」
...例えば李白の詩を見ても...
寺田寅彦 「短歌の詩形」
...其の證據には阿倍仲麿などは支那詩文の全盛時代即ち盛唐の時代に、李白、王維等と同等の交際をして居るし、又其の詩も僅かに一首遺つて居るのみであるが、支那人のものと肩を比べる事が出來る...
内藤湖南 「平安朝時代の漢文學」
...就中尤もよく吟じたのは李白の『両人対酌山花開...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...たぶん李白の詩にあったけな...
中里介山 「大菩薩峠」
...それから、さらさらと笠の内側の一部分へ、思君不見下渝州さらさらと認(したた)めて投げ出したものですから、その筆のあとを、青年がしげしげと見て、「ははあ、李白ですな、唐詩選にあります」「いや、どうも、まずいもので」青年は、うまいとも拙(まず)いとも言ったのではないのに、兵馬は自分でテレて、つかぬ弁解をしていると、「いや、結構です、君を思えども見ず、渝州(ゆしゅう)に下る――思われた君というのが、つまり、そのうつのやの福松君ですな、福井の城下で、あなたとお別れになって、友情綿々、ここ越前と近江の国境(くにざかい)に来て、なお君を思うの情に堪えやらず、笠を贈って、その旅情を留めるというのは、嬉しい心意気です、友人としてこれ以上の感謝はありますまい、この使命、僕自身の事のように嬉しいです、たしかに引受けました」それと知れば、ただではこの使はつとまりませんよ、何ぞ奢(おご)りなさい、とでも嬲(なぶ)りかけらるべきところを、この好青年は、悉(ことごと)く好意に受取ってしまったものですから、兵馬はいよいよ済むような、済まないような気分に迫られたが、今更こうなっては打明けもならず、また、ブチまけてみるがほどのことでもないと、「では、どうぞ、お頼みします、その代りに君の笠を貸して下さい」「竹の饅頭笠(まんじゅうがさ)で、いやはや、御粗末なもので失礼ですが、お言葉に従いまして」青年は、自分のかぶって来た饅頭笠を改めて兵馬に提出したが、これはなんらの文字を書こうとも言わず、それはまた提灯骨(ちょうちんぼね)で通してあるから墨の乗る余地もないもの...
中里介山 「大菩薩峠」
...芭蕉(ばしょう)のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません...
夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
...杜甫(とほ)の「夢李白(りはくをゆめむ)」の詩に「故人入二我夢一(こじんわがゆめにいる)...
新渡戸稲造 「自警録」
...李白や、杜甫や、陶淵明やの支那詩人は、すべて皆四十歳から六十歳までの間に、代表的な名詩をたくさん作り、最も油の乘つた活躍をしてゐる...
萩原朔太郎 「詩に告別した室生犀星君へ」
...李白(りはく)やヴェルレーヌが思慕したもの...
萩原朔太郎 「詩の原理」
...支那では李白や白楽天やが...
萩原朔太郎 「月の詩情」
...李白の詩を心よげに口ずさんで歩きました...
林芙美子 「清修館挿話」
...――李白――帰去来兮...
原口統三 「二十歳のエチュード」
...漱石は立って書斎から李白の詩集を取って来て...
和辻哲郎 「漱石の人物」
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