...我先民が三韓を失して李唐の手に奪はれたるものは之が爲め也...
竹越三叉 「深憂大患」
...六朝から李唐に至る間...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...学者は何に縁(よ)つて李唐以上の事を窮めようぞ...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...支那の寝台の彫刻や装飾画が今も李唐の図様の伝統を留めてゐるのをも見た...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...李唐(りとう)、字(あざな)は古(きこ)といい、かつては書院の巨匠朱鋭とか李辿(りてん)などと並び称されたほどな画人であった...
吉川英治 「人間山水図巻」
...それというのが、こういう柔弱(にゅうじゃく)な文化人共が、徽宗(きそう)皇帝をとり巻いて、皇帝をしてまるで一箇の画家か美術の保護者みたいなものに仕立て上げてしまったからこそ、ついに北宋を亡ぼしたのである、そして自分たちにいたる迄、こんな流亡の憂目(うきめ)をみるに至ったのだという日頃の憎悪(ぞうお)を以て、この李唐をも、頭から軽蔑(けいべつ)していたからであった...
吉川英治 「人間山水図巻」
...その日から師の李唐の側につきっきりで侍(かしず)いた...
吉川英治 「人間山水図巻」
...八十歳を超えた李唐も画院に召されて都へ帰っていた...
吉川英治 「人間山水図巻」
...またその李唐の推薦(すいせん)に依って...
吉川英治 「人間山水図巻」
...季唐はもとより徽宗(きそう)以来の大家(たいか)ではあり、晩年にも長巻や大作を描いて、いよいよ北宋画の宗(そう)たる巨腕を示したが、その門から出た蕭照も、年も趁(お)うて名声を博し、その作品は、李唐以上に、時人に重んぜられた...
吉川英治 「人間山水図巻」
...しかもなお徽宗から李唐...
吉川英治 「人間山水図巻」
...蕭照は李唐から出て李唐にもまさり...
吉川英治 「人間山水図巻」
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