...徳宗の治世に至りては、更に波斯より金紫光祿太夫、同朔方節度副使、試殿中監賜紫袈裟僧伊斯遠く玉舍の城より中夏に來り、傳法の事に從ひ、徳化大に行はれたる事蹟を述べ、建碑の來由を示せしものなり...
イー、エー、ゴルドン 高楠順次郎訳 「弘法大師と景教との關係」
...五原(ごげん)・朔方(さくほう)・雲中(うんちゅう)・上谷(じょうこく)・雁門(がんもん)などが...
中島敦 「李陵」
...因※(いんう)将軍公孫敖(こうそんごう)が西河(せいが)・朔方(さくほう)の辺で禦(ふせ)いでいる(陵(りょう)と手を分かった路博徳(ろはくとく)はその応援に馳(は)せつけて行ったのだが)という敵軍は...
中島敦 「李陵」
...漢は弐師(じし)将軍李広利(りこうり)に騎六万歩七万の大軍を授(さず)けて朔方(さくほう)を出でしめ...
中島敦 「李陵」
...留住朔方沙漠間...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
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