...最後まで十分に伸びをして裕々と手を下した...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...最後まで附きまとうものは...
太宰治 「懶惰の歌留多」
...それを最後まで楽しめるかどうかわからなかっただけに...
ロマン・ローラン Romain Rolland 豊島与志雄訳 「ジャン・クリストフ」
...最後まで私といっしょにいておくれ...
ロマン・ローラン Romain Rolland 豊島与志雄訳 「ジャン・クリストフ」
...これらの漱石の作品を読みながら読者は最後まで...
中島敦 「鏡花氏の文章」
...ずっと其処に寝泊りして最後まで附添うことにした...
中島敦 「斗南先生」
...Sの老人は最後まで空の御蔵を護っていたことだろうが...
中谷宇吉郎 「御殿の生活」
...最後まで名を書かなかったのは小林だけであった...
夏目漱石 「明暗」
...あますところなく最後まで役に立つ...
長谷川時雨 「きもの」
...最後までそれで通して行こうとしたのが...
長谷川時雨 「松井須磨子」
...塹壕のなかで最後まで戰つた兵士のやうにひどいきずつきかただつたが...
林芙美子 「なぐさめ」
...それでもこの短い時間を最後まで味わいつくそうとしているようであった...
フランツ・カフカ Franz Kafka 原田義人訳 「城」
...それを一筋に最後まで押し進めていつたことに尽きる...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...最後まで残っていた幼い童もとうとう何処かに去ってしまった跡には...
堀辰雄 「曠野」
...最後まで踏み止まる決心を固めたのは...
宮本百合子 「キュリー夫人」
...ですが民藝品には最初からまた最後までこの弊が起らないのです...
柳宗悦 「民藝とは何か」
...勝家は、眷族(けんぞく)八十余名と共に、閣の三重四重あたりで、寄手の屈強を引きつけ突き伏せ、最後の最後まで、血辷(ちすべ)りするほど奮戦していたが、一族の柴田弥右衛門、中村文荷斎(ぶんかさい)、小島若狭守などが、「早や、早や……御用意を」と、促すので、五重へ駈け上って、お市の方と居を共にし、まずその死を見て後、自身は文荷斎の介錯(かいしゃく)のもとに、腹掻っ切って果てたもののようである...
吉川英治 「新書太閤記」
...最後まで中宮に忠実であった...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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