...晃々(きらきら)一ツ星が見えました...
泉鏡花 「浮舟」
...妙見宮の棟下りに晃々(きらきら)と明星が輝いたのである...
泉鏡花 「瓜の涙」
...望月晃は斯う始めました...
野村胡堂 「新奇談クラブ」
...ニットーレコードも、晩年は、タイヘイレコードと併合され、末路はかなくついえてしまったが、その頃関西から九州へかけての地盤はたいしたもので、今の山城少椽(当時古靭太夫)、観世左近、清元延寿太夫、吉住小三郎、関屋敏子、先代桂春團治、立花家花橘などがその代表的な専属芸術家で、かの「道頓堀行進曲」以来今日の流行歌や歌謡曲の前身をなすジャズ小唄なるものが台頭しだしてからは、故小花、それから美ち奴の両君もこの会社から華々しく打ってでたし、新人時代には、東海林太郎、松平晃、松島詩子君なども、この会社へみな吹き込んでいたものである...
正岡容 「わが寄席青春録」
...この室は実に華麗な室で壁は真紅の織物に張られ瓦斯の光晃々として画の様である...
村山槐多 「殺人行者」
...晃(あきら)兄(にい)さんは裸体(はだか)で縮緬(ちりめん)の腰巻(こしまき)一つの儘後手(うしろで)に縛(しば)られて坐つて居る...
與謝野寛 「蓬生」
...「心得た」とばかり、徐晃は、火焔の如き血の斧(おの)をふりかぶって、栗色の駒を向けてきた...
吉川英治 「三国志」
...楊奉は、徐晃をさしまねいて、「河東楊郡(かとうようぐん)の生れで徐晃、字を公明といい、それがしの部下です」と奏して、徐晃にも、光栄を頒(わか)った...
吉川英治 「三国志」
...徐晃に追われ、楽進に斬ってかかられ、炎のような息をついてようやく一方に血路をひらき、つづく味方をかえりみると、何たる情けなさ、わずかに二十騎ほどもいなかった...
吉川英治 「三国志」
...徐晃の奇襲隊は、用意の硫黄(いおう)や焔硝(えんしょう)を投げつけ、敵の糧車へ、八方から火をつけた...
吉川英治 「三国志」
...一瞬は晃々と冴え...
吉川英治 「三国志」
...いや徐晃、曹洪が出払ったあとなので、守りは手薄だし、油断のあったところだし、精悍(せいかん)西涼兵は、芋虫(いもむし)のように、ぞろぞろ城壁へよじ登っているではないか...
吉川英治 「三国志」
...ひそかに友の韋晃(いこう)に心中を洩らしていた...
吉川英治 「三国志」
...韋晃は自信をもって...
吉川英治 「三国志」
...けれど徐晃は、「韓信にも背水の陣があったことを知らぬか...
吉川英治 「三国志」
...徐晃は拍子抜けしながらも...
吉川英治 「三国志」
...「徐晃みずから来るとあれば...
吉川英治 「三国志」
...徐晃はうしろに十余人の猛将をつれていた...
吉川英治 「三国志」
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