...『実隆公記』の明応七年五月十八日の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...日記明応五年四月の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応ごろに中村宮千世丸という名前が同五年三月の日記に見えておる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年に片山五郎左衛門...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年正月からして阪本に苧課役を月俸にして沙汰をすることにしたと日記に見えているが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...しかるに保子が尚経に嫁したのは明応四年(一四九五年)のことであるに...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...ところが明応七年十二月の十七日に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...かかる間に実隆は明応の二年に従二位に叙せられ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...翌々明応七年十五歳の時である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応二年には美作権介(みまさかごんのすけ)を兼ね...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...この日課はいつまで持続されたのか、その辺は知り難いけれど、とにかく彼は熱心な念仏の帰依者であったには相違ない、平素殺生戒を守ろうと念篤かったものと見え、明応六年の五月、薬用のために、庭上で土龍(もぐら)を捉えてこれを殺した時、やむを得ぬとはいえ、慚愧の念に堪えないと記している...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応ごろには総じて『源氏物語』の流行も縉紳間に衰えたので...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応の末年より越後に遊び...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応は僅(わずか)に昨日と過ぎて...
正岡子規 「古池の句の弁」
...あの明応の動乱が平定して後に...
柳田国男 「海上の道」
...それから十五年ほどの後明応七年の九月にも...
柳田國男 「信濃桜の話」
...明応文亀というと...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...やがて明応四年(一四九五)には小田原城を...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
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