...明応年中、近衛尚通の子政信、家を継ぐ...
太宰治 「津軽」
...『実隆公記』の明応七年五月十八日の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実隆の家は明応九年六月下旬の火災に類焼したのであるから...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...けれどもそれまでの好みを考えると、そうもできなかったらしく、明応八年四月、元盛の十三回忌に、盛豊が形のごとく僧斎を儲けた時に、実隆は家計不如意のため、志があっても力が及ばぬ、十分な補助ができぬのは遺憾だと歎いている...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...日記明応五年四月の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年ごろ玉泉という者をもってこれに任じたことがあり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年に広岡入道道円という者をその代官職に補したところが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年正月からして阪本に苧課役を月俸にして沙汰をすることにしたと日記に見えているが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...ところが明応七年十二月の十七日に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年に宗聞法師から頼まれた時には...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...この日課はいつまで持続されたのか、その辺は知り難いけれど、とにかく彼は熱心な念仏の帰依者であったには相違ない、平素殺生戒を守ろうと念篤かったものと見え、明応六年の五月、薬用のために、庭上で土龍(もぐら)を捉えてこれを殺した時、やむを得ぬとはいえ、慚愧の念に堪えないと記している...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年に新板の出来たのでも知れる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応の初年に催したこともある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年修撰に関して兼載との葛藤のあった際に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実隆は延徳、明応の交、年貢未進で三条西家を困らした越前田野村からの取立てをそのころ北国通いをした宗祇を経て、朝倉家に依頼し、若干の収納を得たことがある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...それから十五年ほどの後明応七年の九月にも...
柳田國男 「信濃桜の話」
...足利将軍の十代義植(よしたね)の明応何年かに...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...明応二年から慶長五年までの約百年であった...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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