...明応年中、近衛尚通の子政信、家を継ぐ...
太宰治 「津軽」
...『実隆公記』の明応七年五月十八日の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応ごろに中村宮千世丸という名前が同五年三月の日記に見えておる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...ところが明応元年になって宗祇の取次で千疋を送ってよこしたので...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...しかるに明応五年美濃の喜田城陥落し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...土岐の明応五年の没落を報じて来たのもまたこの男である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年正月からして阪本に苧課役を月俸にして沙汰をすることにしたと日記に見えているが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...かかる間に実隆は明応の二年に従二位に叙せられ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...のみならず舅教秀の歿した明応五年の九月と十月と...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年に宗聞法師から頼まれた時には...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...この日課はいつまで持続されたのか、その辺は知り難いけれど、とにかく彼は熱心な念仏の帰依者であったには相違ない、平素殺生戒を守ろうと念篤かったものと見え、明応六年の五月、薬用のために、庭上で土龍(もぐら)を捉えてこれを殺した時、やむを得ぬとはいえ、慚愧の念に堪えないと記している...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応六年といえば彼の遯世(とんせい)に先だつこと二十年である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年修撰に関して兼載との葛藤のあった際に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応の末年より越後に遊び...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応は僅(わずか)に昨日と過ぎて...
正岡子規 「古池の句の弁」
...それから十五年ほどの後明応七年の九月にも...
柳田國男 「信濃桜の話」
...足利将軍の十代義植(よしたね)の明応何年かに...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...明応文亀というと...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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