...日ごろから快活な活動好きな人として知られた男で...
有島武郎 「或る女」
...一昨年は三月二十日ごろから入ったが...
板倉勝宣 「春の槍から帰って」
...それに日ごろから彼女とは人種でも違う様に畏敬(いけい)していた百合枝夫人のこの犯罪じみた奇怪な行動が...
江戸川乱歩 「一寸法師」
...まるで軽業(かるわざ)のような芸当ですが、探偵団員たちは、日ごろから、いざというときの用意に、こういうことまで練習しておいたのです...
江戸川乱歩 「少年探偵団」
...二十二日ごろから...
田山花袋 「田舎教師」
...日ごろからいだいていたこんな考えが昨今カメラをさげて復興帝都の裏河岸(うらがし)を歩いている間にさらにいくらかでも保証されるような気がするのである...
寺田寅彦 「カメラをさげて」
...日ごろから望んでいるものだ...
永井隆 「この子を残して」
...だが、そのような非望者に取っての大障害も、道を以(もっ)てすればたやすく破壊し得るであろう――三郎兵衛は、日ごろから、浪路を、その材料としてえらんではいた...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...一々、ごもっとものお言葉、おふくろにも、立ち戻りまして、申し聴け、おわびに向わせましょうほどに、お気持を、お直し下されまして――わたくしどもは、くりかえし申し上げますとおり、あなたさまのお為めのみを、はばかりながらお案じ申しているばかりでござります――」すると、それを、聴きすましていた浪路、急に、フッと、涙の顔をあげたが、「ほんとうに、甚太郎、そなたは、わたしを、あわれと思うていてくりゃるか?」目を反(そ)らさずに、甚太郎、「申すまでもござりませぬ――たとえば、松枝町さまが、御恩人とは申せ、そなたさまには、恐れ入ったおはなしなれど、乳をさし上げた母親――わたくしはその伜――おん家よりも、そなたさまこそ、くらべようなく大切と、存じ上げておりますので――」「それならば、わたしの、生き死にの望み――生れて、たった一つの望みを、どうともして、叶わせてくりょうと、日ごろから、念じていてたもっても、よさそうなものと思いますが――」浪路は、いくらか、怨(えん)じ顔に、「実はたった今も、叶わぬ想いに、胸を噛まれて、うら若い千世を相手に、くりごとを言うていたところ――のう、甚太郎、おもはゆい願いなれど、かくまでの、わたしの苦労を察してくれたなら、どうにもして、此(こ)の世で、今一度、かのお人に、逢わせてくれるよう、はからっては貰われぬか?」ほんに、いかに、主従同然な仲とはいえ、女性(にょしょう)の口から、このことをいい出すのは、さぞ苦しいことであったであろう...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...十七日ごろからもう昼間床につくことはしなくなっていたと思います...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...日ごろからどんな御気性(ごきしょう)か...
吉川英治 「上杉謙信」
...日ごろから主君の謙信のことばにも...
吉川英治 「上杉謙信」
...日ごろから沮授(そじゅ)と仲が悪いので...
吉川英治 「三国志」
...――こんな世に自分が起つのは当然であるとする日ごろからの...
吉川英治 「私本太平記」
...この日ごろから、すぐそこらの揖保(いぼ)や飾磨(しかま)の山々も、白い雲か霧かの中に、漠々(ばくばく)と、見えなくなった...
吉川英治 「私本太平記」
...――秀次の長久手(ながくて)の醜態(しゅうたい)を叱責(しっせき)しているばかりでなく、日ごろから、秀次が、秀吉の甥だという気もちのもとに、とかく、わがままや慮外な振舞があることを、きつく怒りつけ、(一時は、勘当せん、とまで思ったが、年もゆかぬので、こらえていたのに、木下助右と勘解由(かげゆ)の付人(つけびと)二人も、見殺しにしながら、池田監物を、家臣にもらいたいなどといっているようでは、まだまだ、性根(しょうね)がついていないと見える...
吉川英治 「新書太閤記」
...日ごろからもう眼の中のものだった...
吉川英治 「新・水滸伝」
...京極摂政師実(きょうごくせっしょうもろざね)の孫――大炊御門経宗(おおいみかどつねむね)とか、花山院の左大臣兼雅(かねまさ)とか、京極大夫隆信とか、民部卿範光(みんぶきょうのりみつ)、兵部卿基経(ひょうぶきょうもとつね)などという人々は、日ごろから、法然に帰依している人たちであるしまた政治的にも、「言論の上ならばともかく、ただ新しい宗教を排斥するための強訴(ごうそ)や誹謗(ひぼう)は、これを御政治にとりあげて、軽率に、主権の御発動を仰ぐべきでない」という意見を持って、廟議にのぞんでいた...
吉川英治 「親鸞」
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