...新帝室技芸員の一人に富岡鉄斎翁が居る...
薄田泣菫 「茶話」
...――新帝国美術院が官許の単一的美術団体となったことは...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...今度新帝(東山天皇)御医薬の時山王の猴もまた疱瘡煩いける...
南方熊楠 「十二支考」
...御母君の女御(にょご)は新帝の御代を待たずに亡(な)くなっていたから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...昔しの法令條目の枯葉を紙上に掻寄せしとは殊にて、今は活溌々たる政界の運動、文學美術に係る新現象の批評など、彼此と結びあはせて、力の及ばん限り、ビヨルネよりは寧ろハイネを學びて思を構へ、樣々の文を作りし中にも、引續きて維廉(ヰルヘルム)一世と佛得力(フレデリツク)三世との崩(ほうそ)ありて、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何などの事に就ては、故らに詳かなる報告をなしき...
森鴎外 「舞姫」
...大きくうなずいて、「誰か我がために、新帝を正して、宮闕(きゅうけつ)の謀賊どもを討ち尽さん者やある」爛(らん)たる眼をして、衆席を見まわすと、時に、彼の声に応じて、「司隷校尉(しれいこうい)袁紹(えんしょう)ありっ!」と名乗って起った者がある...
吉川英治 「三国志」
...新帝ご即位を宣言し...
吉川英治 「三国志」
...新帝と陳留王の車馬に鞭打って逃げてしまった...
吉川英治 「三国志」
...その中を――張譲らの馬と、新帝、皇弟を乗せた輦(くるま)は、逃げまどう老父を轢(ひ)き、幼子を蹴とばして、躍るが如く、城門の郊外遠くまで逃げ落ちてきた...
吉川英治 「三国志」
...新帝はよろめいたまま起き上がらなかった...
吉川英治 「三国志」
...不幸にも新帝は薄志懦弱(はくしだじゃく)である...
吉川英治 「三国志」
...新帝定まり給うてから...
吉川英治 「三国志」
...新帝曹叡(そうえい)の代になってからは...
吉川英治 「三国志」
...しきりに新帝の英邁(えいまい)を沙汰するのも...
吉川英治 「私本太平記」
...こんど新帝の朝(ちょう)に右大臣と返り咲いた持明院方の久我具親(こがともちか)(堀川ノ大納言)の妻の姪(めい)だ...
吉川英治 「私本太平記」
...――新帝以下、すべて六波羅へ疎開され、そのおびただしい方々のお住居には、探題邸をも明けねばならないことであった...
吉川英治 「私本太平記」
...童形(どうぎょう)十三歳の新帝後村上を擁(よう)して...
吉川英治 「私本太平記」
...六月には早や後醍醐の下の新帝都が生れ...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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