...曾祖父(そうそふ)は蜀山(しょくさん)や文晁(ぶんちょう)と交遊の厚かった人である...
芥川龍之介 「魚河岸」
...でかい文晁飛び出しなさい...
板谷波山 「美術学校時代の岡倉先生」
...雪舟(せっしゅう)とか光琳(こうりん)とか文晁(ぶんちょう)とか容斎(ようさい)とかいう昔しの巨匠の作に泥(なず)んだ眼で杓子定規に鑑賞するから...
内田魯庵 「淡島椿岳」
...ある日文晁が訪ねてゆくと...
薄田泣菫 「茶話」
...文晁(ぶんてう)の富士も八十四度くらゐ...
太宰治 「富嶽百景」
...素寒貧(すかんぴん)の書生は十年ならずして谷文晁(たにぶんちょう)が写山楼(しゃざんろう)もよろしくという邸宅の主人になりました...
永井荷風 「雨瀟瀟」
...文晁(ぶんちょう)の高弟で...
中里介山 「大菩薩峠」
...やがて先生の足の方の簑笠の掛つた柱の右手に文晁の描いた寒山の雙幅をかけて...
長塚節 「竹の里人〔二〕」
...当時寛斎、天民、五山、柳湾の詩、文晁、抱一、南嶺、雪旦の画等が並び行はれてゐたので、「番附」などが出来、其序次が公平でなかつたために騒動が起つたとでも云ふ事か...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その二十九天保十一年は十二月十四日に谷文晁の歿した年である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...年齢を推算するに、五百の生れた文化十三年には、文晁が五十四、一斎が四十五、夏蔭が二十四、鼎斎が十八になっていた...
森鴎外 「渋江抽斎」
...文晁は前にいったとおり...
森鴎外 「渋江抽斎」
...床の間にはいかがわしい文晁(ぶんちょう)の大幅(たいふく)が掛けてある...
森鴎外 「鼠坂」
...ゴウガンさてはキユビズムの名をみとめて而も文晁...
山村暮鳥 「小川芋銭」
...青緑山水の得意な文晁なども着色は確かなものであった...
山本笑月 「明治世相百話」
...故田口米作画伯が文晁の寿老人の画幅を愛蔵していたが...
山本笑月 「明治世相百話」
...画伯は「文晁の彩色だからこのくらいのことは平気だ」としきりに如露(じょろ)で水をかける...
山本笑月 「明治世相百話」
...畫人の畫室では、文晁の寫山樓、玉堂の琴室、蕪村の夜半亭、雪洞...
吉川英治 「折々の記」
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