...〔譯〕誘掖(いうえき)して之を導(みちび)くは...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...私如きは二葉亭とは最も親密に交際して精神上には非常に誘掖されてるにも関わらず...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...葛城の掖上(わきがみ)の宮二にましまして...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...ただ木戸一六ぞ掖戸(わきど)の吉き戸一七と卜へて...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...御陵は掖上の博多(はかた)山の上にあります...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...御陵は初めは磐余(いわれ)の掖上(わきがみ)にありましたが後に科長(しなが)の中の陵にお遷(うつ)し申し上げました...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...奈良県吉野郡(よしのぐん)掖上村(わきかみむら)茅原(かやはら)に茅原寺(ちげんじ)と云う真宗の寺院があった...
田中貢太郎 「法華僧の怪異」
...夫が素質の掖導であるとか性格の形成であるとか人間性の陶冶であるとか...
戸坂潤 「現代科学教育論」
...單に掖邪狗とのみありて...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...〔太掖(たいえき)か勾陳(こうちん)か処処(しょしょ)に疑(うたが)う...
永井荷風 「日和下駄」
...しかしは自序に、「両拝東掖、便繁台閣二十余歳、久知弘文館図書方書等、是覩奥升堂、皆探秘要云」と云つてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...そして書を茶山に寄せて丙戌以後蘭軒が頻に詩会を催して少年子弟を誘掖することを告げた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...年来森枳園(きえん)を扶掖(ふえき)しているのもこれがためである...
森鴎外 「渋江抽斎」
...これは単に文一郎が穉(おさな)い成善(しげよし)を扶掖(ふえき)したからではない...
森鴎外 「渋江抽斎」
...掖門(えきもん)ノ廊(ろう)に床几(しょうぎ)をおいて...
吉川英治 「私本太平記」
...ふと掖門(えきもん)の梅の下に立ったときである...
吉川英治 「私本太平記」
...義貞も幕僚たちと共に掖門(えきもん)の外に立って海上を眺めていたが...
吉川英治 「私本太平記」
...道三が後進を誘掖(ゆうえき)すべく興(おこ)した医の塾だからである...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??