...〔譯〕誘掖(いうえき)して之を導(みちび)くは...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...宮掖(きゆうえき)の隠微を諷したるは...
芥川龍之介 「骨董羹」
...此等の慾望と努力とが外から誘掖され助勢されることを願つてゐた...
阿部次郎 「三太郎の日記 第二」
...三 支那扶掖は天の我に与うる使命なりそれに次いで...
大隈重信 「三たび東方の平和を論ず」
...戸の掖(わき)に隱り立ちて...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...御陵は掖上の博多(はかた)山の上三にあり...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...倭王復遣使大夫伊聲耆・掖邪狗等八人...
陳壽 「魏志倭人傳」
...掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬...
陳壽 「魏志倭人傳」
...壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人...
陳壽 「魏志倭人傳」
...凡て自然な発達や行程の補佐掖導以外に出るものではない...
戸坂潤 「技術へ行く問題」
...その生活に対する掖導的作用に至っては...
豊島与志雄 「異邦人の意欲」
...壹與遣二倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人一...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...〔太掖(たいえき)か勾陳(こうちん)か処処(しょしょ)に疑(うたが)う...
永井荷風 「日和下駄」
...数年前から騎都尉(きとい)として西辺の酒泉(しゅせん)・張掖(ちょうえき)に在(あ)って射(しゃ)を教え兵を練っていたのである...
中島敦 「李陵」
...張掖(ちょうえき)に戻って部下の兵を勒(ろく)するとすぐに北へ向けて進発した...
中島敦 「李陵」
...年来森枳園(きえん)を扶掖(ふえき)しているのもこれがためである...
森鴎外 「渋江抽斎」
...これは単に文一郎が穉(おさな)い成善(しげよし)を扶掖(ふえき)したからではない...
森鴎外 「渋江抽斎」
...宮中の北掖門(ほくえきもん)へさしかかっていた...
吉川英治 「三国志」
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