...二二 誘掖而導レ之...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...支那には宮掖閨閤(きゆうえきけいかふ)の詩中...
芥川龍之介 「骨董羹」
...之を匡正し誘掖するには...
石川啄木 「無題」
...私如きは二葉亭とは最も親密に交際して精神上には非常に誘掖されてるにも関わらず...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...三 支那扶掖は天の我に与うる使命なりそれに次いで...
大隈重信 「三たび東方の平和を論ず」
...御陵は初めは磐余(いわれ)の掖上(わきがみ)にありましたが後に科長(しなが)の中の陵にお遷(うつ)し申し上げました...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
......
武田祐吉 「古事記」
...壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人...
陳壽 「魏志倭人傳」
...後進を誘掖(ゆうえき)する地位にいる時には...
寺田寅彦 「鑢屑」
...凡て自然な発達や行程の補佐掖導以外に出るものではない...
戸坂潤 「技術へ行く問題」
...その生活に対する掖導的作用に至っては...
豊島与志雄 「異邦人の意欲」
...壹與遣二倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人一...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...按ずるに伊聲耆の音はイ、サン、ガと訓むべく、掖邪狗も亦イ、サ、カと訓むべし、蓋し魏人が同一の人を兩樣の對音にて記せる者が、一は重複して記され、一は單に一方のみ記されたるならん...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...「太掖勾陳処処ニ疑フ...
永井荷風 「日和下駄」
...〔太掖(たいえき)か勾陳(こうちん)か処処(しょしょ)に疑(うたが)う...
永井荷風 「日和下駄」
...酒泉(しゅせん)・張掖(ちょうえき)の騎各五千をもって出撃したほうが得策と信ずるという上奏文である...
中島敦 「李陵」
...しかしは自序に、「両拝東掖、便繁台閣二十余歳、久知弘文館図書方書等、是覩奥升堂、皆探秘要云」と云つてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...宮中の北掖門(ほくえきもん)へさしかかっていた...
吉川英治 「三国志」
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