例文・使い方一覧でみる「承元」の意味


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...承元三年己巳...   承元三年己巳の読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...承元四年庚午...   承元四年庚午の読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...承元五年辛未...   承元五年辛未の読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...去る承元二年已来...   去る承元二年已来の読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...将軍家が二十歳におなりになつた承元五年は...   将軍家が二十歳におなりになつた承元五年はの読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...承元元年には将軍家は十六歳...   承元元年には将軍家は十六歳の読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...承元四年の六月の事でございましたが...   承元四年の六月の事でございましたがの読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...御幼少の頃より和歌に親しみ、古写本の断片などに依り少しづつ本格のお手習ひをはじめ、十四歳の頃にはすでにお傍の人たちを瞠若たらしむるほどの秀歌をおよみになつて、さらにそのとし、内藤兵衛尉朝親さまが京都よりの御土産として新古今和歌集一巻を献上なされ、しかもその和歌集には御父君、右大将家のお歌も撰載せられて居りましたので、御感激もひとしほ強く、その和歌集に就いていよいよ歌道にはげみ、御ところの風流人を召集めて和歌の御会などもおひらきになり、たまたま御気色を蒙つた御家人が、和歌一首たてまつつたところ、たちまち御宥免になつたとかいふ事さへあつたほどで、承元二年、十七歳の御時に清綱さまから相伝の古今和歌集の献上があり、末代までの重宝とおよろこびになつたのは前にも申し上げました事で、その翌年には御夢想に依つて住吉社に二十首の御詠歌を奉り、事のついでに、京極中将定家朝臣に御初学以来のお歌の中から三十首を選んで送り、ほどなく、定家卿からその三十首のお歌にそれぞれお点をつけて返進してまゐりまして、それ以来、定家卿について更に熱心に歌道にはげまれ、「詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め、及ばぬまでも高き姿を願ひて、」などといふ定家卿のお教へに従ひ、翌々年の七月には、時ニヨリ過グレバ民ノ歎キナリ八大竜王雨止メ給ヘといふ堂々たるお歌をお作りになられ、もはや押しも押されもせぬ古今独歩の大歌人たる御品格をお示しになり、さうして、その十月には鴨の長明入道さまにお逢ひになり、稲妻の胸にひらめくが如く一瞬にして和歌の奥儀を感得なされ、それ以後のお歌はことごとく珠玉ならざるはなく、いまは、はや御年二十二歳、御自身も、このとしをもつて、わが歌の絶頂とお見極めをつけられた御様子でございまして、御詠歌の数もおびただしく、深夜、子の剋、丑の剋まで御寝なさらずにお歌を御労作なさつて居られる事も珍らしくはなく、そのやうな折にはお顔の色も蒼ざめ、おからだも透きとほるやうなこの世のお方でない不思議の精霊を拝する思ひが致しまして、精霊が精霊を呼ぶとでも申すのでございませうか、御苦吟の将軍家のお目の前に、寒々した女がすつと夢のやうに立つて、私もそれは見ました、まざまざと見ました、あなやの声を発するいとまもなく、矢のやうに飛んで消え去りましたが、天稟の歌人の御苦吟の折には、このやうな不思議も敢へて異とするに足らぬのではなからうかと、身の毛もよだつ思ひに震へながらも私はそのやうに考へ直した事でございました...   御幼少の頃より和歌に親しみ、古写本の断片などに依り少しづつ本格のお手習ひをはじめ、十四歳の頃にはすでにお傍の人たちを瞠若たらしむるほどの秀歌をおよみになつて、さらにそのとし、内藤兵衛尉朝親さまが京都よりの御土産として新古今和歌集一巻を献上なされ、しかもその和歌集には御父君、右大将家のお歌も撰載せられて居りましたので、御感激もひとしほ強く、その和歌集に就いていよいよ歌道にはげみ、御ところの風流人を召集めて和歌の御会などもおひらきになり、たまたま御気色を蒙つた御家人が、和歌一首たてまつつたところ、たちまち御宥免になつたとかいふ事さへあつたほどで、承元二年、十七歳の御時に清綱さまから相伝の古今和歌集の献上があり、末代までの重宝とおよろこびになつたのは前にも申し上げました事で、その翌年には御夢想に依つて住吉社に二十首の御詠歌を奉り、事のついでに、京極中将定家朝臣に御初学以来のお歌の中から三十首を選んで送り、ほどなく、定家卿からその三十首のお歌にそれぞれお点をつけて返進してまゐりまして、それ以来、定家卿について更に熱心に歌道にはげまれ、「詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め、及ばぬまでも高き姿を願ひて、」などといふ定家卿のお教へに従ひ、翌々年の七月には、時ニヨリ過グレバ民ノ歎キナリ八大竜王雨止メ給ヘといふ堂々たるお歌をお作りになられ、もはや押しも押されもせぬ古今独歩の大歌人たる御品格をお示しになり、さうして、その十月には鴨の長明入道さまにお逢ひになり、稲妻の胸にひらめくが如く一瞬にして和歌の奥儀を感得なされ、それ以後のお歌はことごとく珠玉ならざるはなく、いまは、はや御年二十二歳、御自身も、このとしをもつて、わが歌の絶頂とお見極めをつけられた御様子でございまして、御詠歌の数もおびただしく、深夜、子の剋、丑の剋まで御寝なさらずにお歌を御労作なさつて居られる事も珍らしくはなく、そのやうな折にはお顔の色も蒼ざめ、おからだも透きとほるやうなこの世のお方でない不思議の精霊を拝する思ひが致しまして、精霊が精霊を呼ぶとでも申すのでございませうか、御苦吟の将軍家のお目の前に、寒々した女がすつと夢のやうに立つて、私もそれは見ました、まざまざと見ました、あなやの声を発するいとまもなく、矢のやうに飛んで消え去りましたが、天稟の歌人の御苦吟の折には、このやうな不思議も敢へて異とするに足らぬのではなからうかと、身の毛もよだつ思ひに震へながらも私はそのやうに考へ直した事でございましたの読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...承元(じょうげん)二年戊辰(つちのえたつ)...   承元二年戊辰の読み方
太宰治 「鉄面皮」

...その後寛治五年にも永長元年にも治承元年にもあって...   その後寛治五年にも永長元年にも治承元年にもあっての読み方
田中貢太郎 「日本天変地異記」

...遂に出家して実信房蓮生(じっしんぼうれんしょう)と号しその後夢に善光寺の本尊を感得したりなどして承元元年十一月十二日芽出度い往生をとげた...   遂に出家して実信房蓮生と号しその後夢に善光寺の本尊を感得したりなどして承元元年十一月十二日芽出度い往生をとげたの読み方
中里介山 「法然行伝」

...最後に承元三年六月十九日沙門源空と署名している...   最後に承元三年六月十九日沙門源空と署名しているの読み方
中里介山 「法然行伝」

...承元元年十二月八日勅免の宣旨が下った...   承元元年十二月八日勅免の宣旨が下ったの読み方
中里介山 「法然行伝」

...承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあった...   承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあったの読み方
三木清 「親鸞」

...承元の法難には親鸞も連累した...   承元の法難には親鸞も連累したの読み方
三木清 「親鸞」

...承元の元年、二月二十八日...   承元の元年、二月二十八日の読み方
吉川英治 「親鸞」

...平家を中心とする同じ“治承元年”というころの都の世態は...   平家を中心とする同じ“治承元年”というころの都の世態はの読み方
吉川英治 「随筆 新平家」

...(二七・五・四)春行くやまごつく旅の五六日*治承元年あたりは...   春行くやまごつく旅の五六日*治承元年あたりはの読み方
吉川英治 「随筆 新平家」

「承元」の読みかた

「承元」の書き方・書き順

いろんなフォントで「承元」


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背痛   書画   ピストル  

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