...打開の道を求めようとしたのが...
徳田秋声 「仮装人物」
...打開の道を講ずるために...
徳田秋声 「仮装人物」
...いつも先方からやって来る打開の道を待っていた彼らにあって...
本庄陸男 「石狩川」
...「しかし、ご家老――」「わかっている」と彼もおだやかに答えていた、「それはみんな済んだこと、と、おぬしは云いたいのじゃろう、いかにも済んで了(しも)うた、済んで、このような窘窮(きんきゅう)が来たのじゃ、打開の道を、われらは蝦夷への移住と考えた、したが、おぬしらは、それを薩長政府への愁訴と考えておる、一万五千石を六十五石に削った政府――家臣七百名の士籍を剥奪(はくだつ)し、ご同様、当日より路頭にまよわしめた政府――その政府におぬしらは哀願しようともくろんでおる」「ご家老!」「誣言(ぶげん)か?」と、彼はその声の方をじろりと見た、「お家を復興するという名にかくれて――あからさまに云うて進ぜよう――あわよくば家禄の恢復(かいふく)も、と、ゆめみておるのじゃ、万にひとつも、さよう、お慈悲によって――じゃ、秩禄を受けたとしてもそれが何程のことである? お聞き及びはなかったか? 宗藩ご本家にしてからが、ご一門の身でありながら百三十俵、士族どもに到(いた)っては、上等の五十五俵、中等は二十五または十六俵、下等には十二俵、卒八俵と、このお定めも耳新しい、これは二十八万石になしおかれたご本家のこと、そのときわれらのもとには何があった?――何も無かった、一俵のご扶持米もおさし廻(まわ)しは無かったのじゃ」「しかし、ご家老――」「まだおわかりにならぬか、――それにひきかえ、土地は年々産みだすもの、われらこのたび求めた北海道の土地は、広袤(こうぼう)百里、埴土(しょくど)肥厚、かならず百年の計が立ちまする」「なるほど――そこでわが殿はどうなります?」「その土地のあるじになる」「なんと、あるじ? と、土民の謂(いい)ではござらぬか、おいたわしい――ご家老」「何です?――」と阿賀妻はひらき直った...
本庄陸男 「石狩川」
...今後の成長打開の道はあるまいと思う...
「純粋小説論」
...必ず打開の道のあるものだ...
吉川英治 「折々の記」
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