...最後にはウインの衛戌兵までも駆り集めたのである...
石原莞爾 「戦争史大観」
...寅卯戌亥(とらういぬい)と繰出したものである...
泉鏡花 「婦系図」
...八日、庚戌、御所に於て、絵合せの儀有り、男女老若を以て、左右に相分ち、其勝負を決せらる、此事、八月上旬より沙汰有るの間、面々に結構尤も甚し、或は京都より之を尋ね、或は態と風情を図せしむ、広元朝臣献覧の絵は、小野小町の一期の盛衰の事を図す、朝光の分の絵は、吾朝の四大師の伝なり、数巻の中、此両部頻りに御自愛に及ぶ、仍つて左方勝ち訖んぬと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...戌刻(いつつ)半(午後九時)頃までお店に居て...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...戌刻(いつつ)(八時)過ぎになってから...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...戌刻(いつつ)半(九時)過ぎ――...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...不思議なことに戌刻(いつつ)(八時)少し前に持って行くと...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...皆んなより早く寢ましたが――」「皆んなより早く」「戌刻(いつゝ)(八時)少し過ぎでした」「それから...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...もう戌刻半(いつゝはん)(九時)過ぎになるだらうが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...『戌刻(いつゝ)半でせうね』と番臺で念を押した」「成程ね」「夜中に曲者が入つたやうに宅の市は言つて居るが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...文政丙戌九年十月二日...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...「甲戌早春...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...そして書を茶山に寄せて丙戌以後蘭軒が頻に詩会を催して少年子弟を誘掖することを告げた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...推するに柏軒は壬戌に至つてお玉が池の家に座敷の建増などをしたであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...万治元戊戌年(つちのえいぬのとし)十二月二日に候えば...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...どうして会えるんだい」「今夜の庚戌会は何処であるんでしょう」「やはり丸の内倶楽部さ」「今からそこへお出でになったらキット白鷹先生が来ていらっしゃると思うのよ」「馬鹿な...
夢野久作 「少女地獄」
...庚戌会へお出でになりまして……?……」「ウン...
夢野久作 「少女地獄」
...場所 蓮華王院裏地時刻戌(いぬ)の下刻(げこく)(九時)と...
吉川英治 「宮本武蔵」
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