...ものごとを慈しみ、思いやりをもって接すること。「慈円の精神」...
...「慈円」は、実在した鎌倉時代の僧侶の名前でもある...
...「慈円」は、禅宗寺院やお寺の名称に使われることがある...
...「慈円」は、書道や篆刻の作品名にも使用される...
...「慈円」は、まれに人名や店舗名としても使われる...
...慈円(じえん)僧正は...
吉川英治 「親鸞」
...慈円(じえん)僧正もまた...
吉川英治 「親鸞」
...叡山というところは、お小僧なぞの行けるところではなし、また、掟(おきて)として、年端(としは)もゆかぬ者や、入室して、半年や一年にしかならぬ者の登岳(とうがく)はゆるされぬ」「でも、参ります」「叱られるぞよ」「叱られても参ります」「帰れ」「こいつ、剛情なやつ」と、弟子僧たちが、止めているのを、振りかえって、慈円僧正は、困り顔をしながらも、苦笑をうかべて、眺めていた...
吉川英治 「親鸞」
...慈円座主の偉さであった...
吉川英治 「親鸞」
...なんで、いたずらに、その域へ達せぬものに、この大会大戒の儀をゆるそうか」「…………」静かではあるが、慈円の声は、たとえば檜(ひのき)の木蔭を深々(しんしん)と行く水のひびきのように、耳に寒かった...
吉川英治 「親鸞」
...――慈円も、登岳(とうがく)の後、このとおり、つつがのう暮しているとな」「はい」草稿と、消息をいただいて、京の使いは帰って行った...
吉川英治 「親鸞」
...「近う」と、慈円はいう...
吉川英治 「親鸞」
...これは慈円僧正も...
吉川英治 「親鸞」
...慈円の感じていることも...
吉川英治 「親鸞」
...五年見ない慈円のすがたは...
吉川英治 「親鸞」
...というて、あまり往来の者に顔をみられたり、礼をされるのもうるさいらしく、慈円は、白絖(しろぬめ)の法師頭巾(ずきん)をふかくかぶって、汚い木履(ぼくり)をぽくぽくと鳴らしてゆくのである...
吉川英治 「親鸞」
...誰も見えんではないか」慈円がいぶかると...
吉川英治 「親鸞」
...「玉日――」慈円は呼んで...
吉川英治 「親鸞」
...なされば――」「するともよ」慈円は...
吉川英治 「親鸞」
...慈円は、一瞥(いちべつ)して、ずっと奥へはいってしまったが、つづいて範宴が上がろうとすると、若僧はふいに彼の法衣(ころも)の袂(たもと)をつかんで、「兄上」と、呼んだ...
吉川英治 「親鸞」
...――なんで慈円僧正のような人がそんな愚をなそうか...
吉川英治 「親鸞」
...彼は今はもう、まったく、政界からも、廟堂(びょうどう)の権勢からも、身を退(ひ)いて、ただ法然門下の一帰依者(きえしゃ)として、しずかに余生を送っている人であったが、現在、自分の息女の一人は、善信の妻として嫁いでいるし、弟の慈円僧正は、叡山の座主であったが、その座主にもいたたまれないで下山しているのだ...
吉川英治 「親鸞」
...明恵が苦しみ、慈円が苦しみ、親鸞が苦しんでいても、しかし、苦しまぬ人もいましたね...
吉川英治 「親鸞聖人について」
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