...驚きと怖れから、小説家は身をもがいたが、慣れた――たしかにさうすることに慣れた、特殊な技巧のある女の両腕は強くて離れず、それではこの女は、とすぐに彼は気がつかぬでもなかつたものの、まだ半信半疑のうちに、もはや土間にひきずり込まれてゐて――そこに、昔の彼が顔を洗ひ水を飲んだ場所がちらと見えたかと思ふと、どんと揚板の上へあげられ、更にむりやりに尻を押されてつまづきさうになりながら階段に足がかかる時には、やつと一切を理解し得たので、少しの落ちつきも取りもどし「おい、さう押すなよ、危い」と、女の方を――化粧した吹出物のある顔を振りかへつて云ひ、それからひよいと正面に向き直ると――彼の眼には、二階への昇り下りにしめつぽい手垢ですつかり黒く汚れた壁の上に、まぎれもなく彼の筆になる尾上松之助の似顔絵がはつきりと残つてゐるのが、うつつたのである、うつると同時に一種の感慨に胸をせめつけられ、急に酸つぱい気持がこみあげて来て、不覚にも尾上松之助はぼうつとぼやけて了ひ、女に抗(さから)つてゐた身体の力もそのまま抜けて了つたやうな気がした...
武田麟太郎 「釜ヶ崎」
...私は少しも怖れていない...
太宰治 「駈込み訴え」
...こういう時には覆没を怖れた...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...ただひたすらに怖れて所々に群れる景色は...
中井正一 「「壇」の解体」
...兵馬を怖れしめないで...
中里介山 「大菩薩峠」
...女房は我儘な太十の怒癖を怖れて唯むっつりして黙って居た...
長塚節 「太十と其犬」
...咳の発作を怖れてすぐには服を脱ぎ換えようともしないで...
堀辰雄 「菜穂子」
...恰度光りを怖れる悪魔のやうに頭を抱へ...
牧野信一 「F村での春」
...それよりも王がこれだけの文句を左程怖れてゐる様子もなく自分の前で云つたのが嬉しかつた...
牧野信一 「闘戦勝仏」
...自身の凡ゆることごとを滑稽と見られることを何よりも怖れて...
牧野信一 「武者窓日記」
...甚だしく怖れまた嗔(いか)ってたちまち死するを熟知する故...
南方熊楠 「十二支考」
...自分の子をつれて行く黒馬車を待ちながら堪えられぬ怖れに迫られて居る様に...
宮本百合子 「黒馬車」
...それが盆の方ではことに怖れられ信ぜられて...
柳田国男 「年中行事覚書」
...物蔭を怖れて遠くへは行かずに...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...サッと流れこむ寒風を怖れながら...
吉川英治 「江戸三国志」
...「さては早くも蜀の攻勢を怖れて...
吉川英治 「三国志」
...いたく怖れての作戦かと考えられまする」休太郎の気息は...
吉川英治 「新書太閤記」
...四方から火を放たれる怖れがありましょう」「や...
吉川英治 「平の将門」
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