...「応仁の乱」は室町時代に起きた戦争の名称です...
...「応仁風雲録」は、室町時代の小説家、権中納言の著した小説です...
...「応仁志摩の合戦」は、応仁の乱期に起こった戦いの一つです...
...「応仁寺」は、京都市東山区にある臨済宗大本山の寺院です...
...「応仁符」は、室町幕府が発行した文書の一つで、官位や地位などを示す郵送用の文書です...
...たとえばです……日本に於て、農民が最も幸福であった時代は鎌倉時代、とりわけ北条時代であったのですが……さて、応仁の乱以後、天下を平定した豊臣秀吉というものが、御承知の通り、彼は全く名もなき農民の出でありましてな、そんなら、その純粋の農民の出であるところの豊臣太閤というものが、どういう扱いをその親元の農民に向って試みたかと申しますと、まずあの時のあの人が行った『検地』というものでよくわかりますな...
中里介山 「大菩薩峠」
...応仁の乱の前後のように...
中里介山 「大菩薩峠」
...かく考えきたれば応仁以後の群雄割拠時代が...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...したがって応仁の乱は乱離の傾向に加速度を与えたには相違ないけれど...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...応仁の一乱によって促進された大勢に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...応仁の乱にはじまった大暗黒時代がおおよそ百年あまりもつづいているが...
久生十蘭 「うすゆき抄」
...応仁大乱の前表という(『和漢三才図会』七四)...
南方熊楠 「十二支考」
...応仁(おうにん)の乱とつづいて...
吉川英治 「新書太閤記」
...応仁の乱このかた...
吉川英治 「新書太閤記」
...応仁の乱麻(らんま)から...
吉川英治 「新書太閤記」
...応仁以来、戦争の惨はなめつくし、生きるべくあらゆる試煉にも辛抱づよくされて来た庶民だが、この頃はすこし懐疑的になりかけてきた...
吉川英治 「新書太閤記」
...かつては、ありもしたろうが、吉野朝、応仁前後、戦国時代などの、いにしえのアプレゲールたちが持ち出してしまったのかも知れない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...実相院址(あと)の一廓は、水落寺(みずおちでら)の隣り地で、有栖川(ありすがわ)の流れと、上小川(かみこがわ)の流れと、ふた筋の水脈に挟まれていて、応仁の乱の折には、一帯に焼け野原となったところで、今でも庭木を植えなどする時は、赤い刀の折れや兜(かぶと)の鉢が出てくるといわれているが、本阿弥家の住居がここにできたのは、勿論応仁以後で、それ以後の家としては古いほうであった...
吉川英治 「宮本武蔵」
...まず応仁の乱(一四六七―一四七七)あたりから始めるべきだと思うが...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...彼は応仁乱後数年まで生きていたのであり...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...足軽は応仁の乱から生じたものであるが...
和辻哲郎 「埋もれた日本」
...応仁の乱は大名の一揆衆の対立によって惹起されたために...
和辻哲郎 「鎖国」
...たとえば応仁(おうにん)の乱の際には無数の典籍が焼かれたが...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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