...彼徒事二靜養瞑坐一而已...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...かう思つたのは徒事(いたづらごと)ではなかつた...
ドストエウスキー Fyodor Mikhailovich Dostoevski 森林太郎訳 「鰐」
...これ無用の徒事(とじ)たるのみに非ず...
永井荷風 「江戸芸術論」
...しかし世に徒事の多きは啻(ただ)にこの事のみではない...
永井荷風 「西瓜」
...書を購(あがな)って読まざるもまた徒事である...
永井荷風 「西瓜」
...読んで後記憶せざればこれもまた徒事にひとしい...
永井荷風 「西瓜」
...人生徒事の多きが中に...
永井荷風 「西瓜」
...徒事(いたずらごと)の如く見傚(みな)して来た...
夏目漱石 「学者と名誉」
...行くも帰るも徒事(いたずらごと)では通れない...
夏目漱石 「虞美人草」
...おおかたただの徒事(いたずら)だろうと思っていた...
夏目漱石 「行人」
...同年五月三日の條に御方兵由利中八郎維久、於若宮大路射三浦之輩、其箭註姓名、古郡左衞門尉保忠郎從兩三輩中此箭、保忠大瞋兮、取件箭返之處、立匠作之鎧草摺之間、維久令與義盛、奉射御方大將軍之由、披露云々同五月五日の條に去三日由利中八郎維久、奉射匠作事、造意之企也、已同義盛、可彼糺明之由、有其沙汰、被召件箭於御所之處、矢注分明也、更難遁其咎之旨、有御氣色、而維久陳申云、候御方防凶徒事、武州令見知給、被尋決之後、可有罪科左右歟云々、仍召武州、武州被申云、維久於若宮大路、對保忠發箭及度々、斯時凶徒等頗引返、推量之所覃、阿黨射返彼箭歟云々、然而猶以不宥之云々五月三日の條と同五日の條とは若吾妻鏡が一人の手に成りたる日記なりとせば、明に其間に矛盾の存することを見るべく、此矛盾を解釋せんには三日の條の記事を以て追記なりとせざるを得ず、然らざれば三日に於て既に明白なる事實が、五日に於て疑義となること怪むべきことなり、且三日の記事は既に其中に於て矛盾を含めり、慥に御方に候せる維久が、故に矢を義盛に送りて泰時を射さしめたりといふが如きは、事實上あり得べからざることにして、此矛盾は益三日の記事の麁忽に追記せられたることを證する者なり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...自分は海外留學の徒事でなかつた事を滿足に思ふのである...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...徒事(あだごと)にすぎないことに思われた...
室生犀星 「津の国人」
...海間の心づくしも徒事(とじ)になつた...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...徒事(いたずらごと)ではなかった...
Johann Wolfgang von Goethe 森鴎外訳 「ファウスト」
...8690しかし口で言うのは徒事(いたずらごと)だ...
Johann Wolfgang von Goethe 森鴎外訳 「ファウスト」
...しかしそれは徒事(いたずらごと)であった...
森鴎外 「二人の友」
...ついに全くの徒事(とじ)と帰(き)して...
吉川英治 「新書太閤記」
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