...清宮彬の諸君とはとりわけ親しくつきあっていた...
高村光太郎 「回想録」
...横山林二氏が『俳句研究』昭和四十年二月号の「川柳リアリズム宣言=ある日の鶴彬」文中で明らかにしたものである...
鶴彬 「鶴彬全川柳」
...木曾川治水の怨みを幕府へもっている人々は、幕府が、斉彬を利用して、折角の金をまた使わせるのだとも考えた...
直木三十五 「南国太平記」
...斉彬公の代になったら――自分の才も...
直木三十五 「南国太平記」
...斉彬公が、公御自身の命を縮め、子孫を絶さんと計るこれら奸悪のものに対して、こう御存念なさっておる以上、斉彬公のお力を借りることに望みは無い...
直木三十五 「南国太平記」
...申し分を互角とすれば、御幼君を失うなど、悪逆無類の業ではないか? それに対して、斉彬方の人々が、お由羅様でも殺したとあれば、それは双方が悪いが、陰謀は一方のみじゃ...
直木三十五 「南国太平記」
...わしの心が――」斉彬は...
直木三十五 「南国太平記」
...斉彬公御世継の上は...
直木三十五 「南国太平記」
...斉彬は、伊達宗城の言葉の終るのを待って、静かに「然し、余の事とちがい、父の心一つにて決することゆえ、お志は忝ないが、万事父の心任せに――」「そういうとは、身も、承知して参った...
直木三十五 「南国太平記」
...若者は殺せぬ――斉彬は...
直木三十五 「南国太平記」
...斉彬公のお気に入るか教えてくれるか...
直木三十五 「南国太平記」
...(斉彬を、殺す外にない――)二人とも、そう考えはしたが、斉彬を殺すということは、同時に、自分らも、久光も、殺されて、島津の家が滅亡することであった...
直木三十五 「南国太平記」
...あはははは」斉彬の居間へ近づくに従って...
直木三十五 「南国太平記」
...心熱が烈しゅうござりまして――然し、御疲労のみでもなかりそうに心得まする」「それでは、牧の呪いかの」と、斉彬は、微笑した...
直木三十五 「南国太平記」
...それで「久光は、わしの見るところでは――御両所の前ゆえ、忌憚なく申し上げるが、斉彬よりも若い...
直木三十五 「南国太平記」
...だから(わしは、兄の志を継いで、共々天下の難に赴こうというのに、汝等、わしの肚がわからぬか)とも、考え(不届な)とも、怒り――そうして、ある時には(わしは、まだまだ兄にまでは到らぬから)と、反省もしてみたが、重臣達は、久光を、斉彬の崇拝者として危険に思い、軽輩は、斉彬の敵として、憎んでいるかと思うと、ただ一人、孤独の立場になって、自分を知られぬ苛立たしさに、落ちつけなかった...
直木三十五 「南国太平記」
...机の上に岩波文庫の『島津斉彬言行録(しまづなりあきらげんこうろく)』が載っている...
中谷宇吉郎 「I駅の一夜」
...初めて斉彬公の面目をうかがい知った...
中谷宇吉郎 「牧野伸顕伯の思い出」
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