...塾の先生は山田方谷の門弟宮内鹿川といつた王學の老先生でした...
薄田泣菫 「詩集の後に」
...光源氏の弟宮の八の宮と呼ばれた方で...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と言つてゐたが...
森鴎外 「ぢいさんばあさん」
...翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが...
森鴎外 「じいさんばあさん」
...この弟宮も、しごく閑(しずか)な性(さが)ではあったが、父皇の遠謀によるおいいつけと、また兄宮大塔の下にもよくその命に従って、「墨のころもは、仮の衣(きぬ)」と、ご観念のていだった...
吉川英治 「私本太平記」
...この弟宮の優雅な天性は...
吉川英治 「私本太平記」
...この弟宮のほうは...
吉川英治 「私本太平記」
...――いうならば、弟宮は母似、兄の大塔ノ宮は、父似ともいえようか...
吉川英治 「私本太平記」
...かつての侍僧忠円の密書を手にされた大塔ノ宮から、本院の座主へお使いがあると、ほどなく、弟宮の座主は、みずからその兄宮のいる東塔(とうとう)南谷の円融坊(えんゆうぼう)とよぶ坊舎の内を、そっと訪ねていたのだった...
吉川英治 「私本太平記」
...宮は弟宮と連署(れんしょ)の一札(さつ)に...
吉川英治 「私本太平記」
...それに、頷(うなず)きかえして、弟宮の宗良が、座主(ざす)として、「玄尊、大衆(だいしゅ)へ物申せ」と、かたわらの者へすぐ命じる...
吉川英治 「私本太平記」
...弟宮の座主宗良も...
吉川英治 「私本太平記」
...「あっぱれ、よくやった」大塔ノ宮は、賞辞されたが、弟宮の宗良は、よく正視もなされぬのみか、お顔のいろすら、青白うなられた...
吉川英治 「私本太平記」
...「……なにを泣かれる」大塔ノ宮は、そんな中で、弟宮の宗良を、叱っていた...
吉川英治 「私本太平記」
...弟宮(おとみや)...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔ノ宮護良も弟宮の宗良も...
吉川英治 「私本太平記」
...――笠置で会おうぞ」と、弟宮へいう...
吉川英治 「私本太平記」
...弟宮(おとみや)」と...
吉川英治 「私本太平記」
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