...日本の大国難である弘安の役の終った翌年に亡くなられました...
石原莞爾 「最終戦争論」
...弘安の年號の文字纔に見ゆる古き墓碑もあり...
大町桂月 「白河の關」
...弘安四年の颱風の時期を選んで...
中谷宇吉郎 「雑記」
...恐々謹言これは弘安二年己卯(つちのとう)六月二十日に書かれたものだ...
長谷川時雨 「尼たちへの消息」
...弘安三年五月三日の窪尼(くぼのあま)あての文の頭書(とうしよ)などは...
長谷川時雨 「尼たちへの消息」
......
福澤諭吉 「福翁自伝」
...その船長の松木弘安(まつきこうあん)(後に寺嶋陶蔵(てらじまとうぞう)又後に宗則(むねのり))...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...この時から松木弘安(こうあん)を改めて寺島陶蔵(てらしまとうぞう)と化けたのです...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...例えば文久二年欧行の船中で松木弘安(まつきこうあん)と箕作秋坪(みつくりしゅうへい)と私と三人...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...」阿部侯の蔵する所の此孝経は弘安二年九月十三日の鈔写に係る巻子本で...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その百五十三わたくしは蘭軒が此年文政六年に阿部正精(まさきよ)に代つて弘安本孝経に跋した事を言つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...そして所謂弘安本の古文孝経孔伝であることに及んだ...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...阿部家の弘安本覆刻に後るること三年にして刊行せられたのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...右弘安二年古写本影...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...『地名辞書』の説では弘安八年の図田帳(ずでんちょう)に...
柳田國男 「地名の研究」
...ただ、幼時のうろ覚えには、その足利式部大夫(しきぶのたゆう)家時は、弘安十年、まだ三十五の若さを、この御霊屋で、腹を切って死んだとか...
吉川英治 「私本太平記」
...弘安十年二月二十一日ゆゑあればこそ...
吉川英治 「私本太平記」
...弘安(こうあん)十年...
吉川英治 「私本太平記」
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