...弘安四年に日本に襲来した蒙古(もうこ)の軍船が折からの颱風のために覆没(ふくぼつ)してそのために国難を免れたのはあまりに有名な話である...
寺田寅彦 「颱風雑俎」
...いわゆる文永の役、弘安の役が、共に丁度颱風の時期に当っていたことはよく知られている...
中谷宇吉郎 「雑記」
...弘安四年の颱風の時期を選んで...
中谷宇吉郎 「雑記」
...弘安元年五月一日に與へられたのには...
長谷川時雨 「尼たちへの消息」
...六月二十七日(弘安元年)同二年十二月二十七日は...
長谷川時雨 「尼たちへの消息」
...弘安三年五月三日の窪尼(くぼのあま)あての文の頭書(とうしよ)などは...
長谷川時雨 「尼たちへの消息」
...弘安三年には江刺郡に祖父河野通信の墳墓を訪ねたとあつて...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...その船長の松木弘安(まつきこうあん)(後に寺嶋陶蔵(てらじまとうぞう)又後に宗則(むねのり))...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...この時から松木弘安(こうあん)を改めて寺島陶蔵(てらしまとうぞう)と化けたのです...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...弘安五年(1282)に...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...斎は又蘭軒が蓮花寺弘安年間の古鐘を見なかつたのを憾(うらみ)としてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...以弘安本活字刷印...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...右弘安二年古写本影...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...常陸久慈(くじ)郡の阿久津は弘安の大田文(おおたぶみ)に見え...
柳田國男 「地名の研究」
...「弘安四年に、元寇(げんこう)の役があった、そのとき執権時宗は、某(なにがし)とかいう禅僧のところへいって、大事到来せり、いかんか向前(こうぜん)せんと訊いた、禅僧某はかねて時宗の師家だったが、問いに対して、迷惑すべからず、と答えた、時宗は大喝(だいかつ)し、元軍討滅の決意をかためたという」これはおかしい、と甲斐は云った...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...なにがしとかいう高家(こうけ)から借りられた弘安礼節という古写本で...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...ただ、幼時のうろ覚えには、その足利式部大夫(しきぶのたゆう)家時は、弘安十年、まだ三十五の若さを、この御霊屋で、腹を切って死んだとか...
吉川英治 「私本太平記」
...弘安(こうあん)十年...
吉川英治 「私本太平記」
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