...悲しむべし京城の内外陰時常ならずして一團の低氣壓四大門上を去らず宮内府にては近日女宮を廢し李宮相の歸國を待ちて雅悲四千餘名解散し根本的の肅清を圖ると揚言しつゝありて庶政漸く其緒につくものの如しと雖ども社面には幾多の暗流横溢するものと見え廿八日京城發電は嚴妃の姉聟にあたる閔某が太皇帝及び嚴妃の密旨を受けて大金を携帶し...
石川啄木 「雲間寸觀」
...それが庶政一新の標語の奥に侵入したり...
石原純 「社会事情と科学的精神」
...一般の民心は新内閣に対して庶政の一新を期待していただけに...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...「庶政の匡革は今や単に作用運営のみに於て完きを期し難く大いに吏道を振粛し行政機構の更新を必要とするに至れり」云々...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...して見ると庶政の(だろうと判読)作用運営以外に吏道なるものがあるように取れるようだ...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...吏道が「庶政の(だと判読)作用運営」とかいうものから食み出すという...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...庶政一新的な政治の方向なのである...
戸坂潤 「世界の一環としての日本」
...洛中の庶政(しょせい)を合議裁決せしめる...
吉川英治 「新書太閤記」
...本来、清洲会議での決議では、ここの京都政治所(まつりごとどころ)の閣臣(かくしん)は、柴田、丹羽、池田、羽柴の四人がひとしく庶政(しょせい)を宰(さい)することになっていて、決して、秀吉のみの中央舞台ではあり得ないのであるが、柴田は遠く越前にあって、もっぱら地方的勢力の結集と、岐阜や伊勢やまた、神戸信孝などと何やらの暗躍(あんやく)にせわしく、丹羽は坂本の近くにあっても、これはすでに秀吉に一切を一任のかたちでいるし、池田勝入は軍議ならともかく、庶政とか、公卿づきあいなどは、(本来、わが才に非ず)として、名目はあっても、関(かか)わらざるを潔(いさぎよ)しとしているような風であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...夕べに庶政(しょせい)を見...
吉川英治 「新書太閤記」
...ひいては中央の庶政も...
吉川英治 「新書太閤記」
...京都の庶政(しょせい)も分担したほどだった...
吉川英治 「新書太閤記」
...その家臣松永久秀に庶政を委せた年である...
和辻哲郎 「鎖国」
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