...七月三十日●昭和二十一年四月 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣(長兄)宛先日はいろいろ御世話になりました...
原民喜 「書簡」
...●昭和二十一年五月七日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛その後お変りございませんか...
原民喜 「書簡」
...五月七日●昭和二十一年七月 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛拝啓 その後は御無沙汰致して居りましたが御元気のことゝ存じます...
原民喜 「書簡」
...兄上様民喜●昭和二十一年十月十三日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原信嗣宛毎日よく雨が降つてじめじめした天気がつづいて居ます...
原民喜 「書簡」
...●昭和二十一年十一月二十七日 大森区馬込末田方より 広島県佐伯郡平良村 原美樹宛美樹君 慶応義塾は財政難で倒れさうになつてゐるよ...
原民喜 「書簡」
...チョチョグワ国頭(くにがみ)郡本部渡久地(もとぶとぐち)チョチョイグワ 同郡名護(なご)チョチョログワ中頭(なかがみ)郡中城(なかぐすく)マンチョウジ平安座(へんざ)島マシャガマ宮古(みやこ)島平良(ひらら)これ等ももちろんあどけない者の所業であって...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...――桓武(かんむ)天皇――葛原親王(かつらはらしんのう)――高見王(たかみのおう)――平高望(たいらのたかもち)――平良持(よしもち)――そして今の相馬の小次郎...
吉川英治 「平の将門」
...私は、東国の豪族、平良持の子、相馬の小次郎と申すんです」こういえば、獄司にも、帝系の御子だということくらいは、いわなくても分るだろうと、小次郎は、ひそかに、晴がましい血を頬にのぼせた...
吉川英治 「平の将門」
...平良持の子というので...
吉川英治 「平の将門」
...平良持とひとしく...
吉川英治 「平の将門」
...下総の豊田の郷にいた平良持がことでございますか」「そうじゃよ...
吉川英治 「平の将門」
...おぬしが平良持の長男...
吉川英治 「平の将門」
...生れは、東国だが、父は亡き平良持...
吉川英治 「平の将門」
...平良正(タイラノヨシマサ)ガ所領ノ一地タリ...
吉川英治 「平の将門」
...おれは平良持の子だ...
吉川英治 「平の将門」
...葛原親王(かつらはらしんのう)の末――平良持がいた頃の勢力がうかがわれる...
吉川英治 「平の将門」
...貞盛への申し渡しには、「一族内紛(ないふん)の蔭には、何よりも、平良持の遣領が、争いの因になっていると断じる...
吉川英治 「平の将門」
...平良持公(たいらのよしもちこう)...
吉川英治 「平の将門」
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