...帝国学士院での研究が進んでいる...
...帝国学士院による新たな研究発表があった...
...彼は帝国学士院の教授である...
...帝国学士院の賞を受賞した...
...帝国学士院の会員に推薦された...
...大体は我が国に現在設けられている帝国学士院と似ているものですが...
石原純 「ロバート・ボイル」
...隣の帝国学士院の裏庭で大きな白犬の写真を撮っていた...
寺田寅彦 「柿の種」
...それは上野の科学博物館とその裏側にある帝国学士院とが意外に遠く離れて見えるということである...
寺田寅彦 「観点と距離」
...もう一度改めて科学博物館対帝国学士院の空間的関係というものを考え直さなければならないことになってしまった...
寺田寅彦 「観点と距離」
...昭和二年には帝国学士院会員となった...
寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
...現に氏は帝国学士院会員で一代の碩学たる学界公認の人物ではないか...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...更に帝国学士院をはじめとして...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...帝国学士院の補助をうけている...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...学術研究費として帝国学士院へ...
戸坂潤 「社会時評」
...その予報が帝国学士院記事に出ただけで...
中谷宇吉郎 「硯と墨」
...その一は物理学者としてであって、帝国学士院会員、東京帝大教授としてのほかに理化学研究所、地震研究所、航空研究所において、それぞれ研究室を持ち、多彩の研究をほとんど間断なく発表されていたのである...
中谷宇吉郎 「文化史上の寺田寅彦先生」
...「帝国学士院第一部論文集」第一号として出版されているが...
穂積陳重 「法窓夜話」
...後ち明治四十五年(1912)に帝国学士院から恩賜賞ならびに賞金を授与せられる光栄を担った...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...帝国学士院と相並び...
三上義夫 「数学史の研究に就きて」
...帝国学士院の和算史調査は...
三上義夫 「数学史の研究に就きて」
...先生は日々帝国学士院に通い「出島蘭館日誌」について英生の事績を調べた...
武者金吉 「地震なまず」
...昭和四年十二月帝国学士院創立満五十年を機会に...
武者金吉 「地震なまず」
...帝国学士院でも前例のない歓迎辞を穂積院長の名を以て公にした...
山本実彦 「十五年」
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