...すばらしい山楽の壁画があるということは...
中里介山 「大菩薩峠」
...永徳を知れば当然、山楽を知らなければならぬ、永徳の絵にも、山楽の絵にも、落款(らっかん)というものは極めて少ないから、いずれをいずれと、玄人(くろうと)でも判断のつきかねることがあるが、よく見れば必ず、永徳は永徳であり、山楽は山楽でなければならないはずのものだ――永徳は早死(はやじに)をしたが、山楽は長生(ながいき)をした、およそ長生すれば恥多しということを、沁々(しみじみ)と体験したもの山楽の如きはあるまい...
中里介山 「大菩薩峠」
...何が恩赦だ、何が大神君を拝するのだ、家康には、永徳や、山楽は柄にない、家康という男は、惺窩(せいか)や、羅山を相手にしていればいい男なのだ...
中里介山 「大菩薩峠」
...白眼に家康を見て帰った晩年の山楽が...
中里介山 「大菩薩峠」
...天球院の山楽を見ることを忘れてはなりませんよ――拙者が...
中里介山 「大菩薩峠」
...山楽でなければ永徳――永徳でなければ山楽――よりほかへは持って行き場がなかろうけれど...
中里介山 「大菩薩峠」
...山楽の襖絵といわれますものは...
中里介山 「大菩薩峠」
...山楽を山楽として認識しておりません...
中里介山 「大菩薩峠」
...山楽とも思わないで...
中里介山 「大菩薩峠」
...山楽の壁画でしょう...
中里介山 「大菩薩峠」
...お銀様が余念なく、自分の眼と頭によって余念なく名園を観賞し、解釈しているところへ、お角さんの社交的儀礼をすげなく、すり抜けて来た小坊主が、早くもそちらに立って滔々(とうとう)と説明をはじめました――「これなるは有名なる醍醐の枝垂桜(しだれざくら)、こちらは表寝殿、葵(あおい)の間(ま)、襖の絵は石田幽汀(いしだゆうてい)の筆、次は秋草の間、狩野山楽(かのうさんらく)の筆、あれなる唐門(からもん)は勅使門でございます、扉についた菊桐の御紋章、桃山時代の建物、勅使の間――襖の絵は狩野山楽の筆、竹園に鴛鴦(おしどり)、ソテツの間、上げ舞台、板を上げますと、これが直ちにお能舞台になります、中の間、狩野山楽の草花、柳の間――同じく狩野山楽の筆、四季の柳をかかれてございます、こちらの廊下の扉、この通り雨ざらしになっておりますが、これに松竹の絵のあとが、かすかに残ります、同じく狩野山楽と伝えられておりまする、これから奥寝殿、この屏風(びょうぶ)は、醍醐の百羽烏として有名な長谷川等伯の筆、こちらが門跡(もんぜき)の間でございます、あの違棚が、世に醍醐棚と申しまして、一本足で支えてございます、その道の人が特に感心を致します、あの茶室がこれも名高い『舟入茶室』松月亭と申します、太閤様がお庭の池の方から舟でこの堀をお通りになって、この茶室へお通いになりました、太閤様お好みの茶室、これは桜屏風、山口雪渓の筆、これからが三宝院の本堂、正面が弥勒仏(みろくぶつ)、右が弘法大師、左が理源大師の御木像でございます、これが枕流亭……さてこれからがお庭でございます、このお庭は太閤様御自作のお庭でございます、あれが名高い藤戸石、一名を千石石とも申します、錦の袋に入れて二百人でこれへ運びました、天下一の名石でございます...
中里介山 「大菩薩峠」
...風雅界の名物寒山楽書だらけの四枚の障子下谷忍川のほとり...
山本笑月 「明治世相百話」
...弟子の山楽(さんらく)は...
吉川英治 「新書太閤記」
...「のう、山楽」「先生...
吉川英治 「新書太閤記」
...近日にやるからの)かれは今、思いだして、「それだろうか」と、山楽の顔を見た...
吉川英治 「新書太閤記」
...山楽には、なお分らないので、「多分その女子でございましょうな」と、あいまいに答えた...
吉川英治 「新書太閤記」
...狩野山楽や俵屋宗達(たわらやそうたつ)などの障壁画(しょうへきが)に代表されたように...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...それから現代画として行われている山楽(さんらく)だの友松(ゆうしょう)だの狩野家(かのうけ)の人々の作品など...
吉川英治 「宮本武蔵」
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