...将士たちが戦場で勇敢に戦った...
...前将士がこの城を建てたと言われている...
...将士としての務めを果たすため、毎日厳しいトレーニングをしている...
...将士の名前を刻んだ碑が建てられている公園に行ってきた...
...昨晩の報道によれば、将士達が勝利を収めたとのことだ...
...砲火そゝぐ南京(ナンキン)城は炉の如しかゝる夜(よ)も将士の征衣霜深し寒紅梅馥郁(ふくいく)として招魂社十二月九日 東京朝日新聞社より南京陥落の句を徴されて...
高浜虚子 「五百五十句」
...波斯軍の将士はサイス市内外の多数の墓地を一つ一つ発(あば)いて検(あらた)めて歩かねばならなかった...
中島敦 「木乃伊」
...記して北荒出征将士の参考に供う...
南方熊楠 「十二支考」
...戦国の将士みな風雲に会して...
吉川英治 「黒田如水」
...将士の軍装も馬飾りも幟(のぼり)もことごとく河北風俗にならって彩(いろど)られ...
吉川英治 「三国志」
...王必の営中では、宵の口から酒宴がひらかれ、将士はもとより、馬飼の小者にいたるまで、怪しげな鳴物を叩いたり、放歌したり、踊ったり、無礼講というので、いやもうたいへんな賑いだった...
吉川英治 「三国志」
...いまや呉の全将士は国防の一線に生死を賭けて...
吉川英治 「三国志」
...「すぐ、罷(まか)るとか」天皇のご喜悦(きえつ)はもちろん、公卿、全山の将士も、「楠木とは、どんな男?」と、百万の味方の思いを彼の風貌にまで寄せて待ちぬいた...
吉川英治 「私本太平記」
...こうした郭内の将士の心理が...
吉川英治 「私本太平記」
...前後についてゆく将士の装いも平和である...
吉川英治 「新書太閤記」
...佐久間右衛門などは、その中庸(ちゅうよう)を行く説で、「河内どののいわれるごとく、甲軍の精猛に当って、勝目の乏しいことは、歴々たるものですが、もし、御出馬を見合わすにおいては、徳川家の将士は、その不信を鳴らし、へたをすると、寝返り打って、甲軍と和睦(わぼく)し、鉾(ほこ)を御当家に向け直すような惧(おそ)れがないとは限りません...
吉川英治 「新書太閤記」
...甲山峡水(こうざんきょうすい)の地勢がおのずから中央に遠く、海外の影響に敏感でなく、また将士も、山国特有な頑固と自負に強く、密(ひそ)かにでも他を学び、己れの短を怖れる気風に乏しかった所以(ゆえん)もある...
吉川英治 「新書太閤記」
...何の心配もなくなったぞ」将士にいたるまで...
吉川英治 「新書太閤記」
...彼をめぐり彼とともに事をなした将士一万余は必ずしも彼と同じような心態ではない...
吉川英治 「新書太閤記」
...遠征軍の将士を慰労するために...
吉川英治 「新書太閤記」
...また一ノ谷や生田方面から落ちて来た平家の将士は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...ところが、大将軍忠文を初め、副将国幹にも、全軍の将士にも、将門にたいして、どれ程な自信と意気があったか、甚だ疑わしい...
吉川英治 「平の将門」
...「兵糧を解け」「馬にも草を飼(か)え」命令が伝わると、将士は、携えている食糧を解いて、思い思いに場所を取って坐った...
吉川英治 「源頼朝」
便利!手書き漢字入力検索