...平氏政権は、源氏との合戦(治承・寿永の戦い)により滅ぼされた...
...平氏は、福原の遷都を、掉尾の飛躍として、治承より養和に、養和より寿永に、寿永より元暦に、天暦より文治に、円石を万仞の峰頭より転ずるが如く、刻々亡滅の深淵に向つて走りたりき...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...是実に寿永二年十一月十五日...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...而して彼が寿永革命史上に一頭地を抽く所以のものは...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...挙兵なされて間もない寿永元年には...
太宰治 「右大臣実朝」
...寿永だ、寿永だ、寿永にして措け、と寿永で納まって居ると、ある時好古癖(こうこへき)の甥が来て寿永じゃありません宝永ですと云うた...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...寿永だ、寿永だ、寿永にして措(お)け、と寿永で納まって居ると、ある時好古癖(こうこへき)の甥が来て寿永じゃありません宝永ですと云うた...
徳冨蘆花 「地蔵尊」
...寿永元暦の頃の源平の乱によって命を落したものの供養をするといって俊乗房が興福寺...
中里介山 「法然行伝」
...寿永三年八島の軍敗走して景清ここに来る...
南方熊楠 「十二支考」
...受命于天(めいをてんにうく)既寿永昌(きじゅえいしょう)「……とございましょうが」「むむ」「これはむかし荊山(けいざん)のもとで...
吉川英治 「三国志」
...寿永の戦いに幾多の生死の下を実際に歩いてきた熊谷次郎直実(なおざね)の話を...
吉川英治 「親鸞」
...寿永(じゅえい)という風雲乱世は...
吉川英治 「親鸞」
...寿永年間の役わりとしては...
吉川英治 「随筆 新平家」
...もともと、平家ぎらいだが、院の後白河からも、あまり重用(ちょうよう)はされず、治承、寿永の乱世に、灸をすえたり、克明に日記をつけたりなどして、とにかく、あの風雲を泳ぎぬけたこの一人物なども、書けば、ひとつの主題になる...
吉川英治 「随筆 新平家」
...(二八・九・六)*寿永二年は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...“義仲最期”の寿永三年一月二十日じゅうの顛末(てんまつ)と巴御前の捕われまでを前号で終わって一と山越えた感じである...
吉川英治 「随筆 新平家」
...まったく別天地となった寿永終戦の翌日からのことを書く...
吉川英治 「随筆 新平家」
...寿永元年、越後平家の城(じょう)ノ四郎(しろう)長茂(ながもち)が、都からの命で、木曾義仲を出撃に出たさい、恵日寺の乗円房も、ここの僧兵をひきいて、長茂を助け、義仲の軍と、横田河原で戦った...
吉川英治 「随筆 新平家」
...養和の年号は、一年で更(か)わったので、寿永二年になる...
吉川英治 「源頼朝」
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