...石碑の面には文字の刻みも消えはじめて「信敬院妙立日如大姉」右に寛保一辛酉...
今井邦子 「伊那紀行」
...○正徳○享保○元文○寛保を盛(さかん)に歴(へ)たる名人なり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...寛保元年(千七百四十一年)においては...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...大正二年正月稿鈴木春信の錦絵一浮世絵板画(はんが)は元禄(げんろく)享保(きょうほう)の丹絵(たんえ)漆絵(うるしえ)より寛保(かんぽう)宝暦(ほうれき)の紅絵(べにえ)となり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...此(かく)の如き手摺(てずり)の法は進んで享保に至り漆絵(うるしえ)と呼びて黒色の上に強き礬水(どうさ)を引きて光沢を出し更に金泥(きんでい)を塗りて華美を添ふるに至りしが、やがて寛保二、三年(西暦一七四二年あるひは三年)奥村政信の門人西村重長(にしむらしげなが)、一枚の板木(はんぎ)にて緑色(りょくしょく)及び紅色(こうしょく)二度摺の法を案出するや、浮世絵はここに始めて真正なる彩色板刻の技術に到達するを得たりしなり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...)此(かく)の如く二色摺板画は寛保三...
永井荷風 「江戸芸術論」
...寛保末年より宝暦末年に至るまで凡(およ)そ二十年間...
永井荷風 「江戸芸術論」
...元禄より元文を過ぎ寛保に及ぶまで凡(およそ)五十年間は仮に西洋美術史上の用語を以てすればいはゆる「復興期以前(プリミチフ)」の時代に相当すべし...
永井荷風 「江戸芸術論」
...元文より寛保延享寛延に至る頃奥村政信及(および)その一派の画工は室内の遠景を描ける大板(おおばん)の紅絵(べにえ)漆絵(うるしえ)を出(いだ)せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...「寛保二年、閏(うるう)十月の饑饉(ききん)、武州川越、奥貫(おくぬき)五平治、施米(ほどこしまい)の型とござあい――」頼まれもしないに寄って来て、袋の結び目から、受けなしの片手をさし込んでの一掴み、口上交りで米友の手伝いをはじめました...
中里介山 「大菩薩峠」
...ギョリュウ日本へ昔寛保(かんぽ)年中に中国から渡って植えてある柳(テイリュウ)...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...寛保元年に八十三歳で歿したから...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...寛保三年某月二十六日に寂した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...寛保三年と寛政十一年とに飜刻せられた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...寛保二年壬戌に怙(ちゝ)を喪つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...翌寛保二年七月二日に歿し...
森鴎外 「渋江抽斎」
...然るに寛保二年に正明が病んでまさに歿せんとする時...
森鴎外 「渋江抽斎」
...寛保元年辛酉(しんいう)十月二十四日」がある...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
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