...一 勿下認二游惰一以爲中寛裕上...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...自分たちの暮らし向きはまるでそんな事も考えないような寛濶(かんかつ)なものだった...
有島武郎 「或る女」
...みんなに寛(くつろ)ぎを勧めでもするやうな...
相馬泰三 「野の哄笑」
...おそらく彼は凡庸(ぼんよう)にたいしてあまりに寛大であったろう...
ロマン・ローラン Romain Rolland 豊島与志雄訳 「ジャン・クリストフ」
...明治時代の都人は寛永寺の焼跡なる上野公園を以て春花秋月四時の風光を賞する勝地となし...
永井荷風 「上野」
...しかして天明寛政時代の精密なる写生の画風いまだ起るに至らず...
永井荷風 「江戸芸術論」
...六十五覆面の覆面たることは同じですが、少女に言わせたこの覆面の女の参詣客は、玄関に立って、寺役に向っての特別の申入れの次第はこうでした、「恐れ入りますが、御殿を拝見させていただきたい」おりから、近き日数のうちに行わるべき秋季の法要と、宝物展看の準備のために忙がしかった寺役は、極めて寛大に、「どうぞ、ゆるゆる御自由にごらんくださいませ」拝観料何程と徴収もしない代り、特に誰かが附添って、説明と監視とに当るという設備もなく、その身そのままで、自由なる室内の拝観を許されたのでした...
中里介山 「大菩薩峠」
...余は病(やまい)に因(よ)ってこの陳腐(ちんぷ)な幸福と爛熟(らんじゅく)な寛裕(くつろぎ)を得て...
夏目漱石 「思い出す事など」
...当分この緊張した気分に寛(くつろ)ぎを与える事ができませんでした...
夏目漱石 「こころ」
...良寛さんは、紙をまるめたものを芯(しん)にして、糸を捲(ま)きつけてゐた...
新美南吉 「良寛物語 手毬と鉢の子」
...亀田先生が良寛さんの字に対して...
新美南吉 「良寛物語 手毬と鉢の子」
...「しかし、中には、中にはじゃないや、ほとんどだれもが、それ以外に何もないのに、それ以外のものを、あの男は持ってるだけ、いいじゃないか、味方に対しては、われわれは、徹底的に寛容な、態度を取らなきゃならないよ...
葉山嘉樹 「海に生くる人々」
...我机地下八尺に置かねども雨暗く降り蕭かに打つ寛先生は如何いふわけか火葬が嫌ひだといふことなのでその感情を尊重して特に許可を受けて土葬にした...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...槇と云う名からして中年の寛容な父親を思わせる様なのに...
宮本百合子 「後庭」
...寛容と仁愛とによって...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
...いかにも寛濶(かんかつ)な態度であった...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...上野の寛永寺裏の方へ渡ってゆく...
吉川英治 「大岡越前」
...寛い humane な感情であり...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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