...井伊家のは宗祇の歌だつた...
薄田泣菫 「茶話」
...世にふるも更に時雨の宿りかな 宗祇という句に対して世にふるも更に宗祇の時雨(しぐれ)かな 芭蕉という句がこれを証明しているように...
高浜虚子 「俳句への道」
...西行(さいぎょう)も宗祇(そうぎ)も芭蕉(ばしょう)もまたそれら世捨人のあとを慕(しと)うて旅にさまようた...
高浜虚子 「俳句への道」
...かの宗祇およびその流れを汲む連歌師らは...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...それはほかでもない文筆殊に歌道の方面からしての宗祇およびその他との関係である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...こののち文明十七年まで宗祇から『源氏』の講釈を聞く話はない...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...それのみならず宗祇がその地方遊歴のために...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...これもやはり宗祇を煩わしての『古今集』の講談であった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇は「先ず心操をもって本となし...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇は哀慟のあまり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実は長享二年宗祇の北国行のさい実隆との間に約束が結ばれ老体でもあり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...その他宗祇のために...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...その方面においての宗祇の尽力は...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実隆もまたこれらのために宗祇に対し永く不快の念を懐いたのではないようである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗碩の宗祇像には...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...一度は宗祇により...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...しかし宗祇『諸国物語』に...
南方熊楠 「十二支考」
...わけて里村紹巴は、宗祇(そうぎ)、宗長以来の聞えを当代に持っている者で、信長にも愛せられ、秀吉とも親しく、茶道では堺の宗易とは昵懇(じっこん)だし、顔のひろいことにおいては、無類の社交人でもある...
吉川英治 「新書太閤記」
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