...芭蕉忌や遠く宗祇(そうぎ)に溯(さかのぼ)る十月十二日 笹鳴会...
高浜虚子 「五百五十句」
...月の秋花の春立つあしたかな 宗祇というのは連歌の発句でありますが...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...西行や宗祇や芭蕉の思想は仏者から見れば別に新しい思想ではない...
高浜虚子 「俳句への道」
...実隆は宗祇と近づきになったのかとも思われる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...文明九年七月宗祇の草庵において『源氏』第二巻の講釈があって...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...このたびは宗祇の種玉庵においてではなく...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇は宗観、宗作、または玄清等の同宿をかわるがわる連れてきた...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...その夕実隆はわざわざ宗祇の種玉庵に赴いて...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...肩のあまり凝らぬ物語であるから宗祇も腕によりをかけ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇はわざわざ江州の御陣まで出張して...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応七年十一月には禁裏からして三荷二合の酒肴を宗祇法師に下さるることになった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...そもそも連歌師の常とはいいながら、宗祇の旅行は、その回数においても、はたまたその範囲においても、共にすこぶる驚くに足るものであり、関東には七年も遍歴し、十一箇国それぞれの場所から富士山を眺めて、なかんずく筑波山から見るが最もよいと断定したほどの大旅行家で、したがって方言にも精通し、かつて実隆に『京ニ筑紫ヘ坂東サ』などの物語をしたこともある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...望むに任せて宗祇に与えた...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇の依頼に応じて...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇はあるいは実隆のための金策の便宜上...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇はもと身体壮健であったけれど...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗碩は他の宗祇門下の人々よりもいっそう深く三条西家と関係のあったかも知れない...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...西行(さいぎょう)も宗祇(そうぎ)も此処(ここ)へ来て一宿したからである...
柳田国男 「峠に関する二、三の考察」
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