...芭蕉忌や遠く宗祇(そうぎ)に溯(さかのぼ)る十月十二日 笹鳴会...
高浜虚子 「五百五十句」
...宗祇とかまたはその門下の連歌師に就いて教を受くる方が多かった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実隆は宗祇と近づきになったのかとも思われる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...文明九年七月宗祇の草庵において『源氏』第二巻の講釈があって...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇は「先ず心操をもって本となし...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇の地方遊歴に出かける時に至り...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇の方からして実隆の批評を求むることもあった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇と宮廷との関係を生じたのは...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...そこで宗祇はさらに宗坡とともに校合してこれを差し上げたのである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇の所持の人丸影像は...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実は長享二年宗祇の北国行のさい実隆との間に約束が結ばれ老体でもあり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇の摂津行きの次をもって...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実隆もまたこれらのために宗祇に対し永く不快の念を懐いたのではないようである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...あるいは宗祇の句を賛語に擬して書いたこともある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...『国華』第二百七十号に載するところの宗祇の肖像のごときはすなわちそれである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...これらはいずれも実隆の家事向きに関係を有したこと宗祇同様であった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
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正岡子規 「古池の句の弁」
...わが邦(くに)ではこれを西行上人(さいぎょうしょうにん)や宗祇法師(そうぎほうし)の逸話として...
柳田国男 「こども風土記」
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