...井伊家のは宗祇の歌だつた...
薄田泣菫 「茶話」
...芭蕉忌や遠く宗祇(そうぎ)に溯(さかのぼ)る十月十二日 笹鳴会...
高浜虚子 「五百五十句」
...連歌の宗祇(そうぎ)の思想に根ざしている...
高浜虚子 「俳句への道」
...そうして宗祇も芭蕉も旅に死んだ...
高浜虚子 「俳句への道」
...連歌と俳諧の分水嶺(ぶんすいれい)に立った宗祇(そうぎ)がまた行脚(あんぎゃ)の人であったことも意味の深い事実である...
寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
...その『三体詩』の講釈をば文明九年には、宗祇法師の庵で、正宗から、文明十一年に蘭坡から聴いた...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...時には徳大寺家などへ宗祇を誘引し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇はさらに『古今集序』聞書ならびに三ヶ事のうち切紙一...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...また実隆に仰せて今一度校合の仕直しをして進上するようにと宗祇に命ぜられた...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...その後も宗祇はたびたび越後におもむいた...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...京田舎を出入した宗祇は...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇の所持の人丸影像は...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇と実隆との歌道の因縁上述のごとくであるからして...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...そのほかに何方(いずかた)よりか千疋の借金を宗祇にしてもらったことが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇と相談のうえ書状を発している...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗祇の居中周旋によるものだとも考え得られるのである...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...これらはいずれも実隆の家事向きに関係を有したこと宗祇同様であった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...しかし宗祇『諸国物語』に...
南方熊楠 「十二支考」
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