...安永八年以後百三十五年を距てたる今回の噴火はこの週期の二倍に相當する者ならん...
石川成章 「櫻島噴火の概況」
...安永六年小通詞となり...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...彼が幕府に「太陽窮理了解」説の譯述を命ぜられた(これは安永三年に「天地二球使用法」を譯述して呈出したのに基いてゐるといふ)のは五十八歳のときであつた...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...これ安永年代一般の画風にして...
永井荷風 「江戸芸術論」
...明和末年より安永に入(い)るやその筆力は忽(たちま)ち活気を帯びその色彩は甚だ絢爛(けんらん)となり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...かかる大板の浮絵は宝暦に入りて鳥居清満が紅絵を最後とし色摺(いろずり)錦絵出(いづ)ると共に暫(しばら)く杜絶(とぜつ)せしが安永に及び歌川豊春の浮絵となりて更にその流行を増しぬ...
永井荷風 「江戸芸術論」
...誰だってこんな所へ本気で来る筈はないと安永は思った...
原民喜 「牛を調弄ふ男」
...ジェームス・クックがはじめて七十一度十分の南極圏に接触した一七七三年(安永三)から一九〇九年まで...
久生十蘭 「南極記」
...安永五年板、永井堂亀友(きゆう)の『世間仲人気質』一に「僕もと京師(けいし)の産、先年他国へ参り夜とともに身の上咄(ばな)しを致せしが、物語りの続きに、その時は私も、ちゃっちゃむちゃくでござりました、といいたれば、他国人が大いに笑いちゃっちゃむちゃくとは何の事じゃ、そのような詞が京にもあるか、ただしは亀友の一作か、これは可笑(おか)しい、これは珍しやと申して一同一座の興を催しましたが、その国でそれからこの俗言が流行(はや)りますと年始状の尚々書(なおなおが)きに申して上せましたくらい、さて当年で四十九年以前、三月上旬の頃兵庫浦で目の内五尺八寸という鯛がとれて大阪のざこ場(ば)へ出した時、問屋の若い者きおい仲間人これを求め、六人掛かりで料理せしが、中に一人この大鯛のあらの料理を受け取り、頭を切りこなす時、魚のえらを離しさまに手の小指を少し怪我(けが)しけるが痛みは苦にせねど何がな口合(くちあい)がいいたさに南無三(なむさん)、手を鯛のえらでいわしたア痛い、これはえらいたい、さてもえらい鯛じゃといったが、この鯛の大きな評判に連れてこの口合がざこ場中になり、それから大きな物さえ見るとこれはえらい、さてもえらい物じゃといい出して大阪中の噂になり、後(のち)日本国で今はえらいという俗言が一つ出来(しゅったい)せし由、しかれば古き喩えはいずれも故実のある事、今様の俗言も何なりと拠(よりどころ)のある事ならん云々」と見える...
南方熊楠 「十二支考」
...これらよりもずっと著われたは安永二年菅専助(すがせんすけ)作『傾城恋飛脚(けいせいこいのたより)』で全国に知れ渡り...
南方熊楠 「十二支考」
...安永六年四十三歳であるべきに...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...蘭軒は安永六年十一月十一日に生れたから...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...これは安永四年三月二十八日の事である...
森鴎外 「ぢいさんばあさん」
...安永元年から三十七年間...
森鴎外 「ぢいさんばあさん」
...安永と改元せられた翌年の八月である...
森鴎外 「じいさんばあさん」
...安永三年八月二十九日の事である...
森鴎外 「じいさんばあさん」
...やはり安永天明の小話を集めた『滑稽類纂』を出版...
山本笑月 「明治世相百話」
...珍品は明和・安永から寛政ごろのものに多い...
山本笑月 「明治世相百話」
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