...其の時は木彫の守武の像や子規の像が箱から取り出されて...
高浜虚子 「椿子物語」
...守武や子規の像と並んで諸君を歓迎する意味でやはり一緒に並んで置かれた...
高浜虚子 「椿子物語」
...それは守武の像や子規の像よりも椿子の立つてゐる方が気味が悪かつたのであらう...
高浜虚子 「椿子物語」
...その暗いページの中にたまたま明るいところがあってそこに山崎宗鑑(やまざきそうかん)とか荒木田守武(あらきだもりたけ)とか松永貞徳(まつながていとく)とか...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...守武と宗鑑とをくらべるとその間に相違も見出されますが...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...守武時代にあっても二人の名前だけを明るくしておいてその前後はことごとく暗黒のページとして放置しておきたいと思います...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...が、守武、宗鑑の死後しばらくして松永貞徳の名前がまた明るく暗黒のページの中に見出(みいだ)されます...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...宗鑑、守武、貞徳、宗因等の人々は、優にやさしい和歌、連歌から別に一派の俳諧を分岐せしめるためには俗語を使用し、俗情を直叙して洒落滑稽を主としなければならなかったのでありますが、芭蕉はさらにそれを再転して、その滑稽、俳諧の奥に潜んでいる人生の寂し味に手をつけたのであります...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...おやをもり俳諧(はいかい)をもりもりたけ忌虚子(きょし)もりたけ(荒木田(あらきだ)守武)室町末期の俳人・連歌師 天文十八年八月八日没序二...
高浜虚子 「俳句への道」
...守武(もりたけ)...
高浜虚子 「俳句への道」
...守武(もりたけ)は忠実に連歌(れんが)を学んでから俳諧を創(はじ)めた...
高浜虚子 「俳句への道」
...守武(もりたけ)は独吟千句を試みんとして...
正岡子規 「古池の句の弁」
...守武の興したる俳諧は連歌以外に一の詩形を造りしにあらず...
正岡子規 「古池の句の弁」
...言語の遊戯に属する者はなべて世に叩くは明日のくひ菜かな 宗鑑真丸(まんまる)に出づれど永き春日かな 同春寒き年にが/\しいつまで嵐ふきのたう 同花よりも鼻にありける匂ひかな 守武声はあれど見えぬや森のはゝきゞす 同の類なり...
正岡子規 「古池の句の弁」
...守武死後凡(およそ)八十年にして貞徳起り...
正岡子規 「古池の句の弁」
...荒木田守武(あらきだもりたけ)の狂歌に「宇治武者は千人ありとも炮烙(ほうろく)の槌一つにはかなはざりけり」...
南方熊楠 「十二支考」
...伊勢(いせ)の荒木田守武(あらきだもりたけ)のように...
柳田国男 「木綿以前の事」
...それを心得ちがいして荒木田守武式に...
柳田国男 「木綿以前の事」
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