...彼――宮川宇多郎なのであろうか...
海野十三 「脳の中の麗人」
...十二歳の時宇多上皇に見出されて...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...後宇多天皇も亦非常に宏才博覽で入らせられたといふことを言つて居ります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇の御遺告即ち今日あちらに陳列してある所の天皇御自身の御遺言の中に書かれてあることゝ非常によく一致して居ります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇は殊に密教に精通して居られた方ですが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇頃から南北朝の始めに起つた所の新思想は...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...しかも大覺寺統の後宇多天皇...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...それで南朝が正統とか大覺寺の興隆とかいふことを別としても、私共の考へる所では、ともかくさういふ機運が動き、さういふ機運に相當する龜山、後宇多、後醍醐三代の天皇、或は北朝の花園院の如き名君がだん/″\世の中に出られたので、自然公家の中にもさういふ人が出たのだと思ひます...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...これは丁度蒙古襲來といふ時が後宇多天皇の始めでありまして...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...アケビと※人皇五十九代宇多(うだ)天皇の御宇...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...後宇多法皇崩御(ほうぎょ)の訃(ふ)が聞えたのは...
吉川英治 「私本太平記」
...後宇多院(ごうだいん)のみ后(きさき)...
吉川英治 「私本太平記」
...後宇多は強(しい)られて退位し...
吉川英治 「私本太平記」
...大覚寺統の後宇多の御子(みこ)...
吉川英治 「私本太平記」
...持明院統には、後伏見、花園の二上皇があり、大覚寺統にも、後宇多、後二条の両院が在(いま)すといったふうに...
吉川英治 「私本太平記」
...それも彼女がまだ西華門院(せいかもんいん)(後宇多(ごうだ)の後宮(こうきゅう))に仕えていた女童の頃から知っている...
吉川英治 「私本太平記」
...それなのに、後宇多は、反対派の皇女を、人をもって盗み奪(と)らせたうえ、どこかへ隠してしまったらしい...
吉川英治 「私本太平記」
...おん母遊義門院にわかれたのは、十一だから、後醍醐の養子となっても、実父は、後宇多院と、知っていたろう...
吉川英治 「私本太平記」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??
