...道真が彼を登用して藤原氏の専横(せんおう)を抑えようとし給うた宇多上皇(うだじょうこう)の優渥(ゆうあく)な寄託に背(そむ)いたのを批難し...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...宇多上皇は、上皇の法の弟子である浄蔵が左大臣の邸に於いて最後まで加持祈祷の勤めをせず、中途で退出したことを聞召(きこしめ)されて大いに御気色(みけしき)を損ぜられたので、浄蔵は深く勅勘(ちょっかん)の身を慎(つゝし)み、三箇年の間横川(よかわ)の首楞厳院(しゅりょうごんいん)に籠居(ろうきょ)して修練苦行の日を送ったと云うが、世間一般の人々は、時平がそう云う死に方をしたことを当然のように考えて、あまり同情する者はなかった...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...宇多天皇の女御(にょうご)に上って京極御息所(きょうごくみやすどころ)と云われた女子があったが...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...宇多天皇は藤原基経に向って「卿者社稷之臣...
戸坂潤 「日本イデオロギー論」
...粟野君が後宇多天皇の御事蹟を委しくお話せられたやうですが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇の御學問といふものは...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...佛教の方の學問に就ては最初は父天皇たる後宇多天皇にお教を受け...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...それから一面には後宇多天皇のやうな御學問に御熱心なお方は...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇のお子さんの後醍醐天皇が出られますが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇の復古思想から...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...今朝『宇多川(うたがわ)』に着いたばかりの常陸(ひたち)の地廻り新酒...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...後宇多法皇崩御(ほうぎょ)の訃(ふ)が聞えたのは...
吉川英治 「私本太平記」
...持明院統には、後伏見、花園の二上皇があり、大覚寺統にも、後宇多、後二条の両院が在(いま)すといったふうに...
吉川英治 「私本太平記」
...かつては後宇多の仙洞(せんとう)に北面として近侍していたことがあったからだ...
吉川英治 「私本太平記」
...ほかならぬ亡き後宇多の院だった...
吉川英治 「私本太平記」
...ものともし給わぬ後宇多の恋は...
吉川英治 「私本太平記」
...後宇多の実子の列には入れられなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...かつての応仁前後、建武正平の頃、鎌倉期、遠くは上世の応神、推古、宇多、後宇多等の御年代にわたっても、外夷(がいい)の征、内賊の伐(ばつ)など、地に戦を見ぬ日が、果たして幾日あったろうか...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索