...此年七月三日宇多帝(うだてい)御位(みくらゐ)を太子敦仁(あつひと)親王へ譲(ゆづ)り玉ひ朱雀(すじやく)院へ入らせ玉ひ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...仁和寺(にんなじ)の宇多上皇―――亭子院(ていしいん)の帝(みかど)が平中をお召しになって...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...宇多天皇の女御(にょうご)に上って京極御息所(きょうごくみやすどころ)と云われた女子があったが...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...それは丁度この後宇多天皇の頃から南北朝までの間にかけての時代でありますが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...正統記で後宇多天皇のことを拜見しますると大變ほめ奉つて居ります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...佛教の方の學問に就ては最初は父天皇たる後宇多天皇にお教を受け...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...やはり後宇多天皇の學者であらせられたことが大いに後醍醐天皇の新思想に關係があるのであります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇は八歳で天子の位に即かれて...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後宇多天皇の復古思想から...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...くさ/″\の話のうちに茸狩りし趾の小き穴に栗の一つ宛落ちたるは烏のしわざなりなど語らるゝをきゝて繩吊りて茸山いまだはやければ烏のもてる栗もひりはず嵯峨より宇多野に到る小芒の淺山わたる秋風に梢吹きいたむ桐の木群か十月一日...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...後宇多の院御所にお仕えしたのは...
吉川英治 「私本太平記」
...後宇多は強(しい)られて退位し...
吉川英治 「私本太平記」
...大覚寺統の後宇多の御子(みこ)...
吉川英治 「私本太平記」
...それも彼女がまだ西華門院(せいかもんいん)(後宇多(ごうだ)の後宮(こうきゅう))に仕えていた女童の頃から知っている...
吉川英治 「私本太平記」
...亡き父皇(ちち)後宇多(ごうだ)の世頃...
吉川英治 「私本太平記」
...それなのに、後宇多は、反対派の皇女を、人をもって盗み奪(と)らせたうえ、どこかへ隠してしまったらしい...
吉川英治 「私本太平記」
...後宇多の実子の列には入れられなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...かつての応仁前後、建武正平の頃、鎌倉期、遠くは上世の応神、推古、宇多、後宇多等の御年代にわたっても、外夷(がいい)の征、内賊の伐(ばつ)など、地に戦を見ぬ日が、果たして幾日あったろうか...
吉川英治 「新書太閤記」
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