...子や孫(まご)に語(かた)りて教草(をしへぐさ)にせんと...
饗庭篁村 「隅田の春」
...子孫代々好機の到るのを待つたのでせうが遂にその望を失ひ永祿三年(西紀一五六〇年)に私の出生地たる埼玉縣兒玉郡山王堂村に移轉して來たものです...
石川三四郎 「浪」
...父様にゃ孫も八九人出来た...
泉鏡花 「婦系図」
...未見の嫁と孫がまだ深かった北国の雪を踏んで尋ねて来た...
田中貢太郎 「放生津物語」
...現に津軽家の舊臣に杉山氏を称する者があるのは三成の子孫であるとも云う...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...舊事紀の天孫本紀...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...「天孫と称せられるものが...
蜷川新 「天皇」
...大久保家の子孫七人の身の上を調べ抜き...
野村胡堂 「大江戸黄金狂」
...番頭の孫作や、手代の伴造の追從顏をするのを宜い加減にあしらつて、平次は先づ主人傳右衞門の死骸を見せて貰ひました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...手習師匠の進藤孫三郎さんのところは?」「あの通り...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...この法律によって直系の子孫は誰でも...
トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus 吉田秀夫訳 「人口論」
...名和長年の子孫が九州天草辺に来て...
柳田国男 「故郷七十年」
...という風に少なくとも活きた子孫の者はもとは皆信じていた...
柳田国男 「年中行事覚書」
...こうして孫にかかれる者は世間にもそうたくさん有るわけじゃあない...
山本周五郎 「柳橋物語」
...まっと面白かもんのイクラでもある」(桐山孫二郎氏談)◇度々筆者自身の事を書くので如何にも名聞がましくて気が差すが平にお許しを願いたい...
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
...家へ歸ると、彼女は、この世を去つた息子達、孫共、皆のために長い間祈りをした...
ピエル・ロチ Pierre Loti 吉江喬松訳 「氷島の漁夫」
...程普(ていふ)は、孫堅の子、孫策を扶けて襄陽城外から漢江まで無二無三逃げて来たが、それを見かけた呂公が、「よい獲物」とばかり孫策を狙って、追撃して来たので、程普は、「讐(かたき)の片割れ、見捨てては去れぬ」と、引っ返して渡り合い、孫策もまた、槍をすぐって程普を助けたので、呂公はたちまち、馬より斬って落されて、その首を授けてしまった...
吉川英治 「三国志」
...――時に、秀吉の羽柴軍はすでに橡(とち)ノ木(き)峠の国境を続々越え、この府中と一路つながる板取、孫谷、落合などへ駸々(しんしん)と近づきつつあったことは、まだここには分っていなかった...
吉川英治 「新書太閤記」
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