...平家朝威を背き奉り...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...國境を越えて知らない國から奉ります物は...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...そこでその鼠がその鏑矢を食わえ出して來て奉りました...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...河内の國のミノの村でその人を探し出して奉りました...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...即ち其女豊玉毘売を婚(あわ)せ奉りき...
高木敏雄 「比較神話学」
...太閤記「益田少将忠志の事」の条に曰(いわ)く、去程(さるほど)に秀次公御若君達並(ならび)に御寵愛の女房達これかれ三十人餘、同八日之夜徳永式部卿法印がやかたへうつしまいらせ、前田徳善院田中兵部大輔きびしく番をつとめにけり、かくて十一日丹州亀山之城へをくりまいらせ、堅く制法物に記し付、親しきかたよりのをとづれさへに思ひ絶しなり、やがて帰京おはしまして洛中受渡し、六条河原にしてこと/″\く生害に及びなんとなり、益田少将此事をよくしれり、いたはしき事の至(いたり)て痛(いたは)しきは、此上あるべからず、かやうなる憂事を聞なば、身もあられん物か、我はもと江州浅井郡にして、本願寺之門流小菴を楽しみありし坊主なりしを、秀次公天下之家督を請させ給ひてより、某(それがし)を三奉行之内に加へさせ給ひき、報じても報じがたきは、此恩にしくはなし、いざ若君達を見廻奉ると号し、亀山に参り何(いづれ)もさしころし申さんと、ねぶかく思ひこめしなり、一人有し息女をば、秀頼公御母儀へ頼み奉りつかふまつるやうにと、七月二十日大坂へ下しけり、妻の事は亀山よりの左右(さう)次第に藤井太郎右衛門と云し者に首をはねよ、此事返々(かへす/″\)も露洩(つゆもら)すなよと、せいしをかゝせ、廿二日夜をこめつゝ名残をしくも宿を出て、亀山へいそぎ侍るに、おひの坂にて兵士多く有て、見廻の上下一人もとをすべからざる旨、前田徳善院増田右衛門尉石田治部少輔下知(げぢ)なりとて追帰(おひかへ)しけり、されば亀山にてわか君たちおはします所、番等の寛急しらんがため、持参せし折などこれは御ゆるし候へ、さゝげ奉り、聊(いさゝか)なぐさめ申たく候、ひとへに御芳志たるべきと赤手をすってとをし、其身はむなしく帰にけり、折など捧侍りし者立帰りしまゝ、各御有さまを委(くはし)く尋ぬるに、亀山本丸にをしこめまいらせ、中/\われ/\かやうなるものも、三の丸より不レ入よしなれば、少将思ひ絶たりし也と...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...クロニーオーン及び他の諸神にはじめ奉り...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...この所早く御着眼これ無く候ては覚束なく存じ奉り候」...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...しかるべく御葬り置きくだされたく願い奉り候...
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...將た板垣伯が乖謬無名の辭表を天に捧げて宸襟を煩はし奉りたる際にも此の一侯一子が閣僚として曾て板垣伯に善を責むるの道を盡さず...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...お詫び申上げ奉りまする」益満は...
直木三十五 「南国太平記」
...疊三枚程する/\と下がり兩眼に涙を浮べて「難有き爲合せに存じ奉ります」と云つた...
森鴎外 「栗山大膳」
...かくの如くおねがいし奉りまする」と...
吉川英治 「黒田如水」
...天子を悩まし奉り...
吉川英治 「三国志」
...懸念いたしておったところぞ」「ご宸念(しんねん)をわずらわし奉り...
吉川英治 「私本太平記」
...御憫察(ごびんさつ)を仰ぎ奉りまする』彼が日頃の念願を打ちこめて云った...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...諸卿の議判を仰ぎ奉ります」と...
吉川英治 「平の将門」
...またご精神にたいし奉り...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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