...天目山などと言う将軍も出て来た...
太宰治 「苦悩の年鑑」
...しかしまだ天目山(てんもくざん)の古戦場を初め...
中里介山 「大菩薩峠」
...勝頼が天目山にちぢまって最期(さいご)を遂げることになってしまったということじゃ...
中里介山 「大菩薩峠」
...もし武田勝頼が天目山で討死をせずに東へ下ったものとすれば...
中里介山 「大菩薩峠」
...「殿様」「何だ」「あれが天目山の道でござりまするな」「左様」「必ず天目山へ上ってみると仰せでございましたが...
中里介山 「大菩薩峠」
...天目山の方へ行かるべき路であろうと思われます...
中里介山 「大菩薩峠」
...見わたす限りは天目山...
樋口一葉 「ゆく雲」
...この時の歌にはまた 渓間なる人山女魚(やまめ)汲み行く方に天目山の靡く道かな などいふのもある...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...西、天目山、鳥首(トリクビ)ヲ越エテ天童谷ヨリ甲州路――駆けながら見て通った岐れ道の道しるべには、どうやらこう記してあったように読まれましたが……今は何を振顧(ふりかえ)っているいとまもない...
吉川英治 「江戸三国志」
...左の山間(あい)に肩をそびやかしているのは天目山のようです...
吉川英治 「江戸三国志」
...「おう……天目山(てんもくざん)であいはてた...
吉川英治 「神州天馬侠」
...天目山(てんもくざん)の麓(ふもと)ではなばなしい討死(うちじに)をとげていること...
吉川英治 「神州天馬侠」
...天目山(てんもくざん)で討死(うちじに)していなかったとすれば...
吉川英治 「神州天馬侠」
...うまく姿(すがた)をかえて天目山(てんもくざん)からのがれてはきたが...
吉川英治 「神州天馬侠」
...父君は天目山(てんもくざん)にて討死(うちじに)したと見せかけて...
吉川英治 「神州天馬侠」
...天目山(てんもくざん)織田徳川の聯合軍は...
吉川英治 「新書太閤記」
...天目山のうちの平屋敷とよぶ所に...
吉川英治 「新書太閤記」
...そして、「長篠(ながしの)、天目山などの後、わが家(や)に投じて、召し仕(つか)われおる元武田の甲州出のさむらいどもの籍を調べ、それらの者どもよりも、信玄の軍法を聞き取って、改革の案に、参考といたすがよい」と、云いそえた...
吉川英治 「新書太閤記」
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