...鼠の助力で匈奴に大捷(たいしょう)した話も出で来たと見える...
南方熊楠 「十二支考」
...曹操の大捷(たいしょう)に帰し...
吉川英治 「三国志」
...逸(いつ)をもって労を撃つで――必ず大捷(たいしょう)を博すだろうと思います」呂布は首を振った...
吉川英治 「三国志」
...しかも大捷(たいしょう)を得ること...
吉川英治 「三国志」
...かかる大捷(たいしょう)を博したのも...
吉川英治 「三国志」
...夜来の大捷(たいしょう)を孔明に報告した...
吉川英治 「三国志」
...赤壁に大捷(たいしょう)した呉軍も...
吉川英治 「三国志」
...まだ赤壁の一戦に大捷(たいしょう)を克(か)ち獲たきりである所へ...
吉川英治 「三国志」
...いまは蜀帝玄徳を生捕りにする一事あるのみだ」と、呉の総帥陸遜(りくそん)は、今こそ本来の面目を示し、この大捷を機に、自ら大軍を率いて、敵に息つく間も与えず、玄徳の逃げた方向へ、ひた押しに追いつめて行った...
吉川英治 「三国志」
...それは遠征軍の大捷(たいしょう)によって償(つぐな)われ...
吉川英治 「三国志」
...序戦二度の大捷(たいしょう)に...
吉川英治 「三国志」
...この大捷(たいしょう)の沸騰(ふっとう)も...
吉川英治 「私本太平記」
...千早城もまた大捷(たいしょう)と聞えたので...
吉川英治 「私本太平記」
...「このたびの大捷は...
吉川英治 「私本太平記」
...長篠(ながしの)の大捷(たいしょう)を博してからまだ一ヵ月...
吉川英治 「新書太閤記」
...味方の大捷(たいしょう)をここに齎(もたら)すものだったが...
吉川英治 「新書太閤記」
...宇治川の合戦も、義仲の粟津ヶ原の戦死も、一月二十日の朝から夕方までのたった一日の出来事だったが、この大捷報が、即刻、京から鎌倉へ早打ちされたことはいうまでもない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...前の年から四天王寺(してんのうじ)や和泉(いずみ)のさかいで大捷(たいしょう)を博(はく)し...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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