...大徳寺に行ってきたよ...
...京都に行ったら大徳寺にも行ってみてね...
...大徳寺の紅葉はとても美しい...
...大徳寺には曹洞宗のお寺がある...
...大徳寺は日本の文化財に登録されている...
...急にその日は大徳寺に宝物(ほうもつ)の虫干(むしぼし)がある事を思ひ出した...
薄田泣菫 「茶話」
...利休自身の手で大徳寺の山門の上に置かれたのを...
薄田泣菫 「利休と遠州」
...三成の遺骸は後に大徳寺へ引き取られたので...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...日蓮宗デモ結構デスッテ云ッテマシタガネ」墓地捜シハソレデ中止シテ大徳寺カラ北野ヘ出...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...京都の大徳寺で自分を睨み据えるべき...
中井正一 「美学入門」
...狂言はたしか『水戸黄門記(みとこうもんき)』通(とお)しにて中幕「大徳寺(だいとくじ)」焼香場(しょうこうば)なりしと記憶す...
永井荷風 「書かでもの記」
...大徳寺の観音猿鶴の三幅対でも...
中村清太郎 「ある偃松の独白」
...紫野大徳寺孤蓬庵の隣地を敷地に選んだことからはじまる...
長谷川時雨 「家」
...大徳寺塔中(たつちう)聚光院に一夜を御厄介になつてから...
長谷川時雨 「家」
...嵯峨一帯の寺寺から、修学院、大徳寺境内、西本願寺の飛雲閣、それから醍醐寺までとのびた巡拝の径路に、三日にしては少し多すぎるほどだったが、それらのうち矢代の記憶にある道条を想像しても、郷里への旅で得て来た自分の変化に劣らず、彼らは彼らで、また自ら異った感得興奮を顕わすさまも了解できるのであった...
横光利一 「旅愁」
...それもたいがい大徳寺に参禅(さんぜん)していたもので...
吉川英治 「黒田如水」
...紫野(むらさきの)の大徳寺とか...
吉川英治 「剣の四君子」
...大徳寺大法要の荘厳さ...
吉川英治 「新書太閤記」
...自分から大徳寺へ申しやっておきながら...
吉川英治 「新書太閤記」
...大徳寺の僧どもと...
吉川英治 「新書太閤記」
...――けれど、和尚(おす)さまに訊くと、あれでも、とても偉い人なんですとさ」「あれでもなんていうものではありません、人はどこが偉いか、見ただけでは分りませんからね」「但馬(たじま)の出石(いずし)村の生れで十歳で沙弥(しゃみ)になり、十四歳で臨済(りんざい)の勝福寺に入って、希先(きせん)和尚に帰戒(きかい)をさずけられ、山城の大徳寺からきた碩学(せきがく)について、京都や奈良に遊び、妙心寺の愚堂和尚とか泉南の一凍禅師(いっとうぜんじ)とかに教えをうけて、ずいぶん勉強したんですって」「そうでしょうね、どこか、違ったところが見えますもの」「――それから、和泉(いずみ)の南宗寺の住持にあげられたり、また、勅命をうけて、大徳寺の座主(ざす)におされたこともあるんだそうですが、大徳寺は、たった三日いたきりで飛びだしてしまい、その後、豊臣秀頼さまだの、浅野幸長(よしなが)さまだの、細川忠興さまだの、なお公卿(くげ)方では烏丸光広(からすまるみつひろ)さまなどが、しきりと惜しがって、一寺を建立(こんりゅう)するから来いとか、寺禄(じろく)を寄進するからとどまれとかいわれるのだそうですが、本人は、どういう気持か分りませんが、ああやって、半風子(しらみ)とばかり仲よくして、乞食みたいに、諸国をふらふらしているんですって...
吉川英治 「宮本武蔵」
...泉南から大徳寺へもどるつもりにござります」と...
吉川英治 「宮本武蔵」
...臼杵にも大きい禅寺を建てて大徳寺の怡雲を招いたのみならず...
和辻哲郎 「鎖国」
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