...明治二十三年の博覧会に大塔宮を作って出品し好評であった...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...この城の大塔の頂上に...
チェスタートン Chesterton 直木三十五訳 「作男・ゴーの名誉」
...聞けるが故にイリオンの大塔さして脚運び...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...すでに日高郡には大塔宮が熊野落ちのおり経過したまえる御遺蹟多かりしも...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...大塔(だいとう)ノ宮(みや)の御名は...
吉川英治 「私本太平記」
...――いうならば、弟宮は母似、兄の大塔ノ宮は、父似ともいえようか...
吉川英治 「私本太平記」
...かつての侍僧忠円の密書を手にされた大塔ノ宮から...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔ノ宮は、じっとしておられぬように、「実戦のさまも見ないでは、将として不覚、かつは、みかどへおはなしも出来ぬ」と、三ノ宮林まで陣座をすすめ、麾下(きか)の法師旗本へ、「敵は退(ひ)き色(いろ)、もう一ト押しぞ...
吉川英治 「私本太平記」
...この宮――ただしくいえば大塔ノ宮二品親王(にほんしんのう)は――かくてその随身...
吉川英治 「私本太平記」
...その間(かん)、大塔の本堂では、老僧以下あまたな僧が護摩(ごま)の壇をめぐッて、日々、未明から暮夜(ぼや)まで、交代に読経の座を占めたまま、うごかなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...殿ノ法印というのは、一時捕われて、六波羅監禁をうけ、その監視を破って宮の吉野、十津川(とつがわ)の挙兵に奔(はし)り、いまは信貴山(しぎさん)にいて、大塔軍随一の、股肱(ここう)の将と評判のある叡山の巨頭である...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔ノ宮の腹心殿ノ法印へは...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔ノ宮護良(もりなが)親王のご態度である...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔ノ宮の正妃でもあったから...
吉川英治 「私本太平記」
...しかし大塔ノ宮が幽屏(ゆうへい)された当時は...
吉川英治 「私本太平記」
...きさまはまだこの兄にさらと打明けぬな」「何をです」「大塔ノ宮弑逆(しいぎゃく)の不逞をあえて犯したことだ」「いやお耳には入れてある」「それは一片の報告にすぎまい...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔ノ宮を殺(あや)めまいらせたことは申しわけない...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔宮護良(だいとうのみやもりなが)親王の戦勝祈願をこめらるる大炉(たいろ)となり帷幕(いばく)の密議所となり...
吉川英治 「宮本武蔵」
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