例文・使い方一覧でみる「大儒」の意味


スポンサーリンク

...陽明学は、朱熹学派と並ぶ中国の二大儒学の一つです...   陽明学は、朱熹学派と並ぶ中国の二大儒学の一つですの読み方

...この一代の大儒の前に忸怩(ぢくぢ)として先刻の無礼を謝した...   この一代の大儒の前に忸怩として先刻の無礼を謝したの読み方
芥川龍之介 「侏儒の言葉」

...この一代の大儒の前に忸怩(じくじ)として先刻の無礼を謝した...   この一代の大儒の前に忸怩として先刻の無礼を謝したの読み方
芥川龍之介 「侏儒の言葉」

...名医元端(げんたん)や大儒元成(げんせい)を兄弟に持つてゐた人である...   名医元端や大儒元成を兄弟に持つてゐた人であるの読み方
芥川龍之介 「芭蕉雑記」

...明治の大儒として名声中外に著聞する中村敬宇(けいう)先生のよりも...   明治の大儒として名声中外に著聞する中村敬宇先生のよりもの読み方
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」

...まだ島田重礼先生というような漢学の大儒(たいじゅ)がおられた...   まだ島田重礼先生というような漢学の大儒がおられたの読み方
西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」

...荀子三十二篇は周の戰國時代最後の大儒であつた荀況の著作である...   荀子三十二篇は周の戰國時代最後の大儒であつた荀況の著作であるの読み方
服部宇之吉 「荀子解題」

...碩学大儒続々輩出したりといえども...   碩学大儒続々輩出したりといえどもの読み方
福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」

...徳川政府にて昌平館の學風を朱子學と一定してより、各藩大抵皆これに傚ひ、太平二百七十年の間に、碩學大儒、異風を唱る者なきに非ざれども、天下一般學者の多數は朱子學に制せられて他は其意を逞ふするを得ず...   徳川政府にて昌平館の學風を朱子學と一定してより、各藩大抵皆これに傚ひ、太平二百七十年の間に、碩學大儒、異風を唱る者なきに非ざれども、天下一般學者の多數は朱子學に制せられて他は其意を逞ふするを得ずの読み方
福沢諭吉 「帝室論」

...誠実温厚の大儒先生にして女徳の要を述べたるがゆえに然るのみ...   誠実温厚の大儒先生にして女徳の要を述べたるがゆえに然るのみの読み方
福沢諭吉 「読倫理教科書」

...是れは豊前(ぶぜん)中津(なかつ)の大儒白石(しらいし)先生の賜(たまもの)である...   是れは豊前中津の大儒白石先生の賜であるの読み方
福澤諭吉 「福翁自伝」

...七九 大儒の擬律正徳の頃...   七九 大儒の擬律正徳の頃の読み方
穂積陳重 「法窓夜話」

...辺先生は漢代高名の大儒で...   辺先生は漢代高名の大儒での読み方
南方熊楠 「十二支考」

...ペルリが浦賀へ来た時代に大儒息軒先生として知られ...   ペルリが浦賀へ来た時代に大儒息軒先生として知られの読み方
宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」

...碩学(せきがく)大儒(たいじゅ)の哲学者王たるべきが如く...   碩学大儒の哲学者王たるべきが如くの読み方
森鴎外 「細木香以」

...後来の大儒は屡(しば/\)温習を懈(おこた)り屡睡れり...   後来の大儒は屡温習を懈り屡睡れりの読み方
山路愛山 「頼襄を論ず」

...大儒(たいじゅ)として名が知られています...   大儒として名が知られていますの読み方
吉川英治 「三国志」

...潁川(えいせん)の大儒(たいじゅ)石韜(せきとう)は...   潁川の大儒石韜はの読み方
吉川英治 「三国志」

...大儒の業は、まず志を一国の本(もと)におき、人倫の道を肉づけ、文化の健全に華をそえ、味なき政治に楽譜を奏(かな)で、苦しき生活にうるおいをもたらし、暗黒の底に希望をもたらす...   大儒の業は、まず志を一国の本におき、人倫の道を肉づけ、文化の健全に華をそえ、味なき政治に楽譜を奏で、苦しき生活にうるおいをもたらし、暗黒の底に希望をもたらすの読み方
吉川英治 「三国志」

「大儒」の読みかた

「大儒」の書き方・書き順

いろんなフォントで「大儒」


ランダム例文:
迂闊者   了簡違い   弁巧  

縁起がいい言葉・漢字一覧|無料で使える日本語表現集

便利!手書き漢字入力検索

この漢字は何でしょう?

👨話題の人々👩
「推し」を登録

時事ニュース漢字 📺
原子力潜水艦   私自身   共通点  

スポンサーリンク

トップへ戻る