...それはもう甲府も、いつかはやられるだろうと覚悟していたが、しかし、久し振りで防空服装を解いて寝て、わずかに安堵(あんど)するかせぬうちに、またもや身ごしらえして車を引き、妻子を連れて山の中の知らない家の厄介(やっかい)になりに再疎開して行くのは、何とも、どうも、大儀であった...
太宰治 「薄明」
...「大儀であった、これで二十年来の胸が晴ばれした、もう何も思いのこすことはない」病人は八郎に感謝してから家臣の方を向いて、「皆彼方へ往って、客人を饗応(もてな)す準備(したく)をするが好い、客人にはそれまでに、ちょっと御目にかけるものがある」家臣が出て往くと病人はまた八郎に向って云った...
田中貢太郎 「人面瘡物語」
...刑部少輔吉隆は頷(うなず)いて、「うむ、彦右か、大儀であった、さいぜん治部殿から御手紙であったが、重ねて、そなたを使者としてつかわされた次第は?」「主人よりの申附けにより、刑部少輔殿を、枉(ま)げて佐和山の城へ御案内申せとのことにござりまする」「それは心得ぬ、我等このたびの出陣は、内府公の加勢をして会津発向のほかに用向はこれ無きはず、治部少輔がこの際、我等を途中より招かるるは、さだめて何ぞ別段の思惑もあることであろう、そちは使者を命ぜられたほどの者である故に、その仔細を存じておらるるはず、申し聞かせられい」「主人事、私共へはなんらの申し聞けはござりませぬが、内府公の御手前の儀は、我等主人に於て何分にもおとりなし仕(つかまつ)るべきにより、枉げて佐和山の城へお立寄りを願いたい、我等主人胸中には、刑部少輔殿に格別の御相談を申し上げたき儀もあるやに察し申しておりまする」刑部少輔吉隆は、それを聞いて、暫く打吟じて思案に耽(ふけ)っていたが、「よろしい、然(しか)る儀ならば、これより佐和山の城へ同道いたそう」と言い切って、面(かお)を上げた大谷刑部少輔の崩れたその顔面...
中里介山 「大菩薩峠」
...ながいこと大儀であった...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...「大儀であった」――内膳ただいま戻りました...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...大儀であった」と...
吉川英治 「上杉謙信」
...病中大儀であったの」と褥(しとね)に着座した忠房の声がかかって...
吉川英治 「剣難女難」
...「大儀であった...
吉川英治 「剣難女難」
...遠路火急を促して大儀であった...
吉川英治 「剣難女難」
...「大儀であった」と...
吉川英治 「三国志」
...使者にも大儀であった」と腰の刀(もの)など遣(と)らせて帰したということが――この春にはあった...
吉川英治 「新書太閤記」
...――使者にも遠路大儀であった」信長のことばに...
吉川英治 「新書太閤記」
...ああ」と、信長はなお口のうちでくりかえして――「して、その方は、藤吉郎の家中で、なんという者か」「小姓頭(こしょうがしら)、堀尾茂助(もすけ)にございまする」「ゆき届いた使い、大儀であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...「ついでに、数正にも会い、その節は、大儀であったと、よろしく申せ」秀吉の心くばりは、数正にまで届いていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...大儀であった」「お盃...
吉川英治 「新書太閤記」
...「大儀であった」という武家言葉...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...「大儀であった...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...遠路大儀であったぞ...
吉川英治 「牢獄の花嫁」
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