...長崎市の五島列島には、宇久島、天草諸島、壱岐・対馬、薩摩半島・大隅半島の4つの府があったことから、「五府諸島」と呼ばれることもあります...
...どんな写真を作る人か一つ見ておこうというので初めて見たのは「小笠原壱岐守」であつた...
伊丹万作 「人間山中貞雄」
...壱岐殿坂の中途を左へ真砂町(まさごちょう)へ上るダラダラ坂を登り切った左側の路次裏の何とかいう下宿へ移ってから緑雨は俄(にわか)に落魄(おちぶ)れた...
内田魯庵 「斎藤緑雨」
...壱岐殿坂時代の緑雨には紳士風が全(まる)でなくなってスッカリ書生風となってしまった...
内田魯庵 「斎藤緑雨」
...船涼し左右(そう)に迎ふる対馬(つしま)壱岐(いき)六月十日 雑詠選了...
高浜虚子 「五百五十句」
...壱岐(いき)にはしゃくのたねでした...
高山毅 「福沢諭吉」
...長崎(ながさき)からかえってきた奥平壱岐(おくだいらいき)のところへあいさつにいきました...
高山毅 「福沢諭吉」
...壱岐(いき)は諭吉(ゆきち)を長崎(ながさき)からおいだした人(ひと)ですが...
高山毅 「福沢諭吉」
...壱岐(いき)の気持(きも)ちがかわらぬうちにと...
高山毅 「福沢諭吉」
...壱岐(いき)には...
高山毅 「福沢諭吉」
...その御老中も小笠原壱岐守(いきのかみ)が来るということでありました...
中里介山 「大菩薩峠」
...困ったものだよ副将軍と言われるお人が一国さて置き半国ばかりの政事ができぬか家来は不服で四方に分散お前もまことに摺古木野郎(すりこぎやろう)だ高を差出し十万余りの賄(まかな)い貰って引込み思案が相当だんベエチャカポコ チャカポコチャカポコ チャカポコそれはさて置きゾロゾロいなさる閣老参政その他の役人分別ついたか因循姑息(いんじゅんこそく)も時によります歌舞伎芝居の上使の壱岐さん田舎(いなか)ざむらい...
中里介山 「大菩薩峠」
...壱岐守宗于(いきのかみむねゆき)が郎等(『宇治拾遺』)...
南方熊楠 「十二支考」
...壱岐(いき)から遠くない五島(ごとう)の島々が...
柳田国男 「母の手毬歌」
...壱岐(いき)・対馬(つしま)・天草(あまくさ)などではケギという...
柳田国男 「木綿以前の事」
...壱岐の島では一人の旅人が...
柳田国男 「山の人生」
...壱岐さまのお屋敷です...
山本周五郎 「赤ひげ診療譚」
...「壱岐どのは三万二千石だが...
山本周五郎 「赤ひげ診療譚」
...そこで文永十一年に元軍は壱岐(いき)対馬(つしま)へ来寇し実力を見せてから又しても杜世忠ら五人の使者をもって臣従を迫った...
山本周五郎 「新潮記」
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