...壮士よ、突撃だ!...
...彼は真の壮士である...
...前線で勇敢な壮士たちが戦っている...
...真夏の陽気でも、壮士たちは熱中症にならない...
...壮士魂を持って、難問に挑戦する...
...しかしそれには立憲的な方法がある」壮士風の男は正造の言葉に服して黙りこんでしまった...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...保安条例の施行をつたえるもので「第三回帝国議会開院中皇居三里以外の地に退去を命ず」という園田警視総監の命令書と多くの壮士たちの名が挙げてあった...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...三十前後のセルの袴(はかま)を穿(は)いた壮士風の男であった...
田中貢太郎 「春心」
...動もすれば壮士の私闘に類するの嫌なきに非ず...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...二十九「新徴組(しんちょうぐみ)」という壮士の団体は...
中里介山 「大菩薩峠」
...矢立を出して壮士に授けます...
中里介山 「大菩薩峠」
...石に躓(つまず)いて(どう)と横ざまに倒れる――この時まで壮士は足駄(あしだ)を穿いていたものです...
中里介山 「大菩薩峠」
...もう四明ヶ岳の頂上に三人の壮士の影は見当りませんでした...
中里介山 「大菩薩峠」
...身を結束した壮士が四十余名――こなたを指して乗込んで来るのです...
中里介山 「大菩薩峠」
...そこで、右等の壮士連も、天下国家の談に及ぼうとする最初の出立は、ここからはじまるのです...
中里介山 「大菩薩峠」
...鈴木安芸守はこういうように言うのです、「策動はしているが、結局はモノになるまい、蛤門(はまぐりもん)の失敗を、再三繰返すのみに過ぎまい、過激の壮士共や、変を好む浪人共と違い、朝廷におかれても、心ある堂上公卿は、内心みな徳川贔屓(とくがわびいき)じゃ、徳川家の悪いところは悪いで改めて行き、やっぱり三百年の重しのかかった勢いでないことには、この内外の多難は救われない、たとえ、建武の中興が成ったとしても、帰するところは、やはり武家の世だ、かりに、徳川家に代って、薩摩あたりが勢力を張ろうとしても、長州が許すまい、幕府がある間は薩長相提携もしようが、徳川退くならば彼等の間に当然の同志討ち、いずれの勢力も、徳川家の多年の威望には及ばない、とすれば、彼等の為すところは、朝廷を擁して、その御稜威の下に権柄をわが手に占めて行こうとする策略があるのみだが、そうなってみると、堂上公卿が得たりとばかり手を拱(きょう)してはいないのだ、位倒れで実力の無い公卿勢力を、左様に見くびってはならない、力は無くとも、歴史を持っている彼等の情実というものは、なかなか侮り難いものでな、武家の力だけでは如何とも致し難いものがある、そこで、四方八方の因縁がからみつくから、たとえ、徳川衰えたりといえども、一朝一夕で、天下の形勢が変るということはまずあるまい」というのが、鈴木安芸守の結論らしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...そのとき、あなたのお父さまは、どこにいました」「ケチンのそばの洋間に……あたしが駆けて行って、ノックをして、火事だといったんです」「すぐ、起きていらした?」「五分ほどしてから、ドアの隙間から顔をだしました」二アメリカの借家人がケチンに使っていたところは、江戸時代には中門脇の中間部屋だったのを、石田氏の養父の代に、洋館のほうへ繰込んで坊主畳を敷き、院外団の壮士や、青雲の志のある同郷の書生どもを入込みにして、ゴロッチャラさせていたのだそうである...
久生十蘭 「我が家の楽園」
...自由党の壮士くずれで...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...旅廻りの壮士芝居専門の興行師で...
正岡容 「寄席」
...前後を見廻しながら出て来る自由党の壮士三人...
三好十郎 「斬られの仙太」
...先年壮士になったような人間だね...
森鴎外 「食堂」
...壮士は、自分の手勢と降人を合わせて、意気揚々、もとの山間へひきあげて行こうとした...
吉川英治 「三国志」
...壮士はひらりと馬の背をおりて...
吉川英治 「三国志」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??