例文・使い方一覧でみる「塲」の意味


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...しばらく遊びて後戦が原に出ず...   しばらく遊びて後戦塲が原に出ずの読み方
伊藤左千夫 「滝見の旅」

...汗衣かわかしたゝむ君しあればかりねの宿とわがおもはなくに廿三(にじゅうさん)日小山の停車にて長塚と袂(たもと)を分(わか)つ...   汗衣かわかしたゝむ君しあればかりねの宿とわがおもはなくに廿三日小山の停車塲にて長塚と袂を分つの読み方
伊藤左千夫 「滝見の旅」

...此れは関牧にして...   此れは関牧塲にしての読み方
関寛 「関牧塲創業記事」

...現(げんじょう)に至り...   現塲に至りの読み方
関寛 「関牧塲創業記事」

...放牧迄見送りくれたり...   放牧塲迄見送りくれたりの読み方
関寛 「関牧塲創業記事」

...唯公開の所に出で名を售りたきが為なるべし...   唯公開の塲所に出で名を售りたきが為なるべしの読み方
永井荷風 「断腸亭日乗」

...帝国劇支配人山本氏余を赤阪の待合長谷川に招ぎ...   帝国劇塲支配人山本氏余を赤阪の待合長谷川に招ぎの読み方
断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申 「断腸亭日乗」

...帝国劇初日...   帝国劇塲初日の読み方
永井荷風 「断腸亭日乗」

...此の夜中炎暑忍難し...   此の夜塲中炎暑忍難しの読み方
永井荷風 「断腸亭日乗」

...生田葵山君と帝国劇に赴く...   生田葵山君と帝国劇塲に赴くの読み方
永井荷風 「断腸亭日乗」

...そして時たま友達(たち)なんかとどこともない球突(たまつきば)で突(つ)いてはみるが...   そして時たま友達なんかとどこともない球突塲で突いてはみるがの読み方
南部修太郎 「文壇球突物語」

...それも亡くなられるほんの三四ヶ月前に万世橋(はし)のミカドホテルの球突(たまつきば)で一戰(せん)を試(こゝろ)みたのだつたが...   それも亡くなられるほんの三四ヶ月前に万世橋のミカドホテルの球突塲で一戰を試みたのだつたがの読み方
南部修太郎 「文壇球突物語」

...たとへば秋(あき)の温泉(おんせんば)の靜(しづ)かな夜(よ)更けなどに...   たとへば秋の温泉塲の靜かな夜更けなどにの読み方
南部修太郎 「文壇球突物語」

...此合になりて我が身の方はゆるぎの取れぬ事なるを知りつゝ...   此塲合になりて我が身の方はゆるぎの取れぬ事なるを知りつゝの読み方
樋口一葉 「花ごもり」

...首尾よき曉に我れ命冥加ありて其をのがるゝは萬一の事なれど...   首尾よき曉に我れ命冥加ありて其塲をのがるゝは萬一の事なれどの読み方
一葉 「暗夜」

...吾々が兒童教化の爲に兒童文學乃至藝術を採用せんとする合には...   吾々が兒童教化の爲に兒童文學乃至藝術を採用せんとする塲合にはの読み方
槇本楠郎 「プロレタリア童謠の活用に關する覺書」

...爭議等の合兒童の合唱横行によつて敵を惱ますもの...   爭議等の塲合兒童の合唱横行によつて敵を惱ますものの読み方
槇本楠郎 「プロレタリア童謠の活用に關する覺書」

...此時はハリダースが四十日間定に入つたのである、四十日間の入定は是れまで實驗のないことである、此時の所は、中央印度のラホールと云ふ都會で、當時此處に回教徒の王マハーラージヤ、ランジツド、シンと云ふ人があつた、此の王に英吉利人の侍醫があつて、王は其の侍醫と共に試驗をしたのである、王は元來回教徒であるから、初めからハリダースを信じない、彼は必ず詐欺を働くに相違ないと考へて居つた、此度實驗致しました處は王の宮殿の内でありまして、王の宮殿には四方に建物があつて中に廣い空地がある、其處へ一の小さな堂のやうな家がある、其中央に四尺ばかりの穴を掘り其の中へ彼れを埋めた、建物の四方には戸があるが、其の三方は悉く漆喰で密閉し、一方だけは入口として開けて置いたが、外から錠を※して錠の穴をも漆喰で固め封印を捺した、埋めた棺の上には葢をして、其の葢にも錠を※して、前と同じやうに漆喰をし封印を捺した、此如くして堂は四面共に密閉され、堂の中へは光線も空氣も這入らぬやうに成つて居る、夫から初回の時と同じやうに王は二人の番兵をして堂の前後を守衛せしめ、二時間交代で晝夜とも番を爲し、少しも他人の堂に近寄ることの出來ぬやうにして居つたのであります、愈四十日經つた所で、王は宮中の一切のものを連れ、又先の英人侍醫をも連れて堂の處へ來て檢分を爲した、其の時の有樣を記したものに據れば、先づ初めに堂の四方を檢したに、更に異状を認めない、そこで一方の戸口を開いて中へ這入つて見ると、内は眞暗で何となく陰氣である、而して其の内に入つて居る所のフアキル(フアキルとは苦行の人間をいふ、フアキルは亞拉比亞の貧者と云ふ意味の語であるが、後には宗教的生活を爲し苦行に從事するものは皆亦フアキルと稱することとなり、此の言葉が遂に印度に渡り、一般に用ひられたので、印度語ではヨーギ、若しくはヨーギン即ち行者と云ふことであります、其の行者)を埋めてある處の側へ行つて見ますと、棺は依然として元の通り、其處で外面の檢分が滯りなく濟んだから、愈葢を取つた、彼は白い布で包まれてある、其の時弟子が其處へ行つて其の包んだままで、彼を取出して其の上から熱い湯をブツ掛けた、夫れより袋を解いて行者の身體を取り出して試驗して見た所が、其の袋も既に四十日間も地下に埋つて居つたのであるから、處々に黴が生えて實に不快な臭がする、夫れから袋の裡では彼は坐つた儘で、全身皺だらけになつて居る、而して四肢はコワ張つて、其肉に觸れて見ても更に少しの温まりが無い、首は死人同樣に少しく横に肩の上に傾いて居る、胸にも腕にも脈搏と云ふものは一切ない、其の状態は殆ど死人同樣であつた、愈其檢分が濟んで、今度定より戻す時には、弟子が死人同樣になつて居る彼の肩の處へ再び湯を掛けて、能く體を温めた、夫からコワ張つて居る手足を擦り/\少しづつ延ばして行く、次に頭の上へ以て熱き小麥の粉のやうなものを振り掛け、冷ると熱いのと取り換へ、二三回ばかり同じことを繰り返し、今度は耳や其他の孔を埋めた油綿を取出す(耳に空氣を吹入れると鼻に詰つて居る綿が飛出ると云ふ、而して飛出るのが即ち生命の存する證據であると云ふことである)、それから齒は堅く喰ひしばつて居つて中々容易に開けない、其處で小刀の尖の樣なものを齒の間へ挿込んで、無理にコジ開け、左の手では顎を持つて、右の手の指で卷上げた舌を引出す、次には閉いで居る眼の瞼の上へバタの溶けたギーと云ふものを濺ぎ、而して之を摩する、數秒時經つと眼を開けさせるが、其の時は尚眼球も動かず光もない、今度は又例の熱い小麥の粉を額の處へ置く、すると體がピリツと痙攣的に運動を始める、夫れからして段々生活の兆候を表して鼻息をするやうになり、手足が生前の形に返へる、併しながら未だ脈搏は少しもない、夫れから又バタの溶けたギーを舌の上へ乘せて無理に飮込ませる、數分の後には眼が開いて平常のやうな光が出、是れで生返つてしまつた、是に於てハリダースは自分の傍に王の坐すことを始めて知つて、今や大王も亦己れを信ずるを得るであらうと云つたさうである、王も今は秋毫の疑ひを容るべき餘地を有しないので、其の不思議な事蹟に感じ大なる贈物をハリダースに與へて此の地を去らしめた、其の棺を初めて開いてから王に對して言葉を掛けたまでが殆ど三十分、其の後尚三十分ばかりの間は他の人と色々な話をして居たが、宛も病人のやうな有樣で何となく體が勞れて居るといふ状態であつた、併し見る中に次第に力を得、王の所を辭し去る時には、既に身體も精神も平常と少しの變化を認めなくなつたと云ふことであります、是れは何人も不思議とせざるを得ないであらう、或時の試驗には嚴重に守衛する代り、埋めた地面の上へ麥の種を播いた事もある、斯の如く幾度も/\試驗をやつたが、成績は常に同一である、此の如き死んだやうで、而も尚生活のある現象をば、學術上で假死と云ふ、假死と云ふ現象は他に幾らも例のあることである、例へば植物の種子の如きも、去年のものを今年播く、尚何年經つても一定の水分と一定の温度とを與ふれば其の芽を出さしむることが出來る、殆ど死んでしまつて居つたものが再び生返つて來るのである、動物にしても蛙や蚊の如きは寒くなると穴の中に這入つて飮みもせず食ひもせずに居つて、氣候が暖かくなるとそろ/\出て來る、植物だの動物だのに於て、斯う云ふ種類の現象は決して珍しいことではない、けれども印度の行者のやつて居ることは、果して動植物の現象と同じであるか否と云ふ事に就ては色々議論がある、成程一定の時期は身體作用が休止して居り、或時期には再び活動し始めるといふ事だけは兩者とも同じやうに見える、けれども動物のは不隨意的で、冬になると自然に眠るのであつて、行者のやるのは隨意的で何時でも欲する時勝手にやれると云ふのが第一違つて居る所である、又動植物の假死は氣候に關係し氣候の寒暖によつて出來るのであるが、行者のは氣候の變化には何等の關係なく、寒暑何時でも其定に入ることが出來る、是れが第二の違ひである、或人は言ふ、印度は熱帶地方であるから斯の如き事も出來るが、歐羅巴のやうな温帶地方や、寒帶地方では出來ないので、矢張り氣候の關係が然らしむるのであらうと、併し是れは誤つて居る、一定の修業をやると何處でも出來る、必ずしも印度でなければならぬと云ふことはない、日本でも先日淨土宗の人に聞きましたが、新潟縣の某處には定に入る坊樣があつて、一週間ばかり堂に籠り、其間は飮まず食はず不動の状態で居る(素より呼吸はして居るであらうが)、斯樣な人が段々修業をすればハリダースのやうな事も出來るのであらう、又西洋人でも短い間ならば現に彼れと同樣なことを爲して居るものもある、であるから動植物の假死と行者の假死とは稍其趣を異にするやうである...   此時はハリダースが四十日間定に入つたのである、四十日間の入定は是れまで實驗のないことである、此時の塲所は、中央印度のラホールと云ふ都會で、當時此處に回教徒の王マハーラージヤ、ランジツド、シンと云ふ人があつた、此の王に英吉利人の侍醫があつて、王は其の侍醫と共に試驗をしたのである、王は元來回教徒であるから、初めからハリダースを信じない、彼は必ず詐欺を働くに相違ないと考へて居つた、此度實驗致しました處は王の宮殿の内でありまして、王の宮殿には四方に建物があつて中に廣い空地がある、其處へ一の小さな堂のやうな家がある、其中央に四尺ばかりの穴を掘り其の中へ彼れを埋めた、建物の四方には戸があるが、其の三方は悉く漆喰で密閉し、一方だけは入口として開けて置いたが、外から錠を※して錠の穴をも漆喰で固め封印を捺した、埋めた棺の上には葢をして、其の葢にも錠を※して、前と同じやうに漆喰をし封印を捺した、此如くして堂は四面共に密閉され、堂の中へは光線も空氣も這入らぬやうに成つて居る、夫から初回の時と同じやうに王は二人の番兵をして堂の前後を守衛せしめ、二時間交代で晝夜とも番を爲し、少しも他人の堂に近寄ることの出來ぬやうにして居つたのであります、愈四十日經つた所で、王は宮中の一切のものを連れ、又先の英人侍醫をも連れて堂の處へ來て檢分を爲した、其の時の有樣を記したものに據れば、先づ初めに堂の四方を檢したに、更に異状を認めない、そこで一方の戸口を開いて中へ這入つて見ると、内は眞暗で何となく陰氣である、而して其の内に入つて居る所のフアキルを埋めてある處の側へ行つて見ますと、棺は依然として元の通り、其處で外面の檢分が滯りなく濟んだから、愈葢を取つた、彼は白い布で包まれてある、其の時弟子が其處へ行つて其の包んだままで、彼を取出して其の上から熱い湯をブツ掛けた、夫れより袋を解いて行者の身體を取り出して試驗して見た所が、其の袋も既に四十日間も地下に埋つて居つたのであるから、處々に黴が生えて實に不快な臭がする、夫れから袋の裡では彼は坐つた儘で、全身皺だらけになつて居る、而して四肢はコワ張つて、其肉に觸れて見ても更に少しの温まりが無い、首は死人同樣に少しく横に肩の上に傾いて居る、胸にも腕にも脈搏と云ふものは一切ない、其の状態は殆ど死人同樣であつた、愈其檢分が濟んで、今度定より戻す時には、弟子が死人同樣になつて居る彼の肩の處へ再び湯を掛けて、能く體を温めた、夫からコワ張つて居る手足を擦り/\少しづつ延ばして行く、次に頭の上へ以て熱き小麥の粉のやうなものを振り掛け、冷ると熱いのと取り換へ、二三回ばかり同じことを繰り返し、今度は耳や其他の孔を埋めた油綿を取出す、それから齒は堅く喰ひしばつて居つて中々容易に開けない、其處で小刀の尖の樣なものを齒の間へ挿込んで、無理にコジ開け、左の手では顎を持つて、右の手の指で卷上げた舌を引出す、次には閉いで居る眼の瞼の上へバタの溶けたギーと云ふものを濺ぎ、而して之を摩する、數秒時經つと眼を開けさせるが、其の時は尚眼球も動かず光もない、今度は又例の熱い小麥の粉を額の處へ置く、すると體がピリツと痙攣的に運動を始める、夫れからして段々生活の兆候を表して鼻息をするやうになり、手足が生前の形に返へる、併しながら未だ脈搏は少しもない、夫れから又バタの溶けたギーを舌の上へ乘せて無理に飮込ませる、數分の後には眼が開いて平常のやうな光が出、是れで生返つてしまつた、是に於てハリダースは自分の傍に王の坐すことを始めて知つて、今や大王も亦己れを信ずるを得るであらうと云つたさうである、王も今は秋毫の疑ひを容るべき餘地を有しないので、其の不思議な事蹟に感じ大なる贈物をハリダースに與へて此の地を去らしめた、其の棺を初めて開いてから王に對して言葉を掛けたまでが殆ど三十分、其の後尚三十分ばかりの間は他の人と色々な話をして居たが、宛も病人のやうな有樣で何となく體が勞れて居るといふ状態であつた、併し見る中に次第に力を得、王の所を辭し去る時には、既に身體も精神も平常と少しの變化を認めなくなつたと云ふことであります、是れは何人も不思議とせざるを得ないであらう、或時の試驗には嚴重に守衛する代り、埋めた地面の上へ麥の種を播いた事もある、斯の如く幾度も/\試驗をやつたが、成績は常に同一である、此の如き死んだやうで、而も尚生活のある現象をば、學術上で假死と云ふ、假死と云ふ現象は他に幾らも例のあることである、例へば植物の種子の如きも、去年のものを今年播く、尚何年經つても一定の水分と一定の温度とを與ふれば其の芽を出さしむることが出來る、殆ど死んでしまつて居つたものが再び生返つて來るのである、動物にしても蛙や蚊の如きは寒くなると穴の中に這入つて飮みもせず食ひもせずに居つて、氣候が暖かくなるとそろ/\出て來る、植物だの動物だのに於て、斯う云ふ種類の現象は決して珍しいことではない、けれども印度の行者のやつて居ることは、果して動植物の現象と同じであるか否と云ふ事に就ては色々議論がある、成程一定の時期は身體作用が休止して居り、或時期には再び活動し始めるといふ事だけは兩者とも同じやうに見える、けれども動物のは不隨意的で、冬になると自然に眠るのであつて、行者のやるのは隨意的で何時でも欲する時勝手にやれると云ふのが第一違つて居る所である、又動植物の假死は氣候に關係し氣候の寒暖によつて出來るのであるが、行者のは氣候の變化には何等の關係なく、寒暑何時でも其定に入ることが出來る、是れが第二の違ひである、或人は言ふ、印度は熱帶地方であるから斯の如き事も出來るが、歐羅巴のやうな温帶地方や、寒帶地方では出來ないので、矢張り氣候の關係が然らしむるのであらうと、併し是れは誤つて居る、一定の修業をやると何處でも出來る、必ずしも印度でなければならぬと云ふことはない、日本でも先日淨土宗の人に聞きましたが、新潟縣の某處には定に入る坊樣があつて、一週間ばかり堂塲に籠り、其間は飮まず食はず不動の状態で居る、斯樣な人が段々修業をすればハリダースのやうな事も出來るのであらう、又西洋人でも短い間ならば現に彼れと同樣なことを爲して居るものもある、であるから動植物の假死と行者の假死とは稍其趣を異にするやうであるの読み方
松本文三郎 「印度の聖人」

「塲」の読みかた

「塲」の書き方・書き順

いろんなフォントで「塲」


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ケー   神政   ジャーナリズム  

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