...寺院の堂塔が王朝時代の建築を代表するように...
芥川龍之介 「松江印象記」
...それは例(たと)へば堂塔(だうたふ)伽藍(がらん)を造(つく)る場合(ばあひ)に...
伊東忠太 「日本建築の發達と地震」
...ゴチックの堂塔にも優る大工事を起し...
堺利彦訳 幸徳秋水訳 「共産黨宣言」
...堂塔の諸菩薩の像に蠱惑(こわく)を感ずる時代となった...
谷崎潤一郎 「二人の稚児」
...堂塔はさほどでないが景勝第一を占めている...
種田山頭火 「四国遍路日記」
...多景(たけ)島がやゝ近くに岩の上に立つてゐる堂塔の形を見せてゐる...
近松秋江 「湖光島影」
...頼朝寄進の薬師堂塔...
中里介山 「大菩薩峠」
...知(し)らねばこそあれ雪佛(ゆきぼとけ)の堂塔(だうとう)いかめしく造(つく)らんとか立派(りつぱ)にせんとか...
樋口一葉 「經つくゑ」
...この時は又 奥山の白銀の気が堂塔をあまねく閉す朝ぼらけかな などいふ響のいい歌も出来てゐる...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...堂塔僧房繁昌し仏法を行ず...
南方熊楠 「十二支考」
...堂塔の上高く、二つの鐘が鳴り渡ると、石に木霊し、水に響き、塔はさながら楽器である...
横光利一 「欧洲紀行」
...叡山の堂塔伽藍(どうとうがらん)から坊舎楼門(ぼうしゃろうもん)のすべてと山王七社までを一夜に焼き払ったという信長が――と...
吉川英治 「新書太閤記」
...僧童七十四名、堂塔三十宇、七堂の荘厳も一火としてしまったが、快川の気魄とともに、それは光焔万丈をあげて、禅の認識を、ふたたび世に新たにした...
吉川英治 「新書太閤記」
...四十九院の堂塔伽藍(どうとうがらん)が御室(おむろ)から衣笠山(きぬがさやま)の峰や谷へかけて瑤珞(ようらく)や青丹(あおに)の建築美をつらね...
吉川英治 「親鸞」
...おそらく八百年前後このあたりは、熊野本宮の社殿を中心に、仏舎堂塔も、平安朝建築の精粋を極め、仮御所や社家僧房から随身の旅館、雑色(ぞうしき)たちの泊る聚落までを加えて、さながら山中の小京都ともいえる社会がここに営まれていたのではあるまいか...
吉川英治 「随筆 新平家」
...堂塔(どうとう)の大を誇ったり...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...堂塔伽藍(がらん)の空家がずいぶん少なくない...
吉川英治 「宮本武蔵」
...堂塔の建立(こんりゅう)に腐心しあるいは政治家...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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