...寺院の堂塔が王朝時代の建築を代表するように...
芥川龍之介 「松江印象記」
...多景(たけ)島がやゝ近くに岩の上に立つてゐる堂塔の形を見せてゐる...
近松秋江 「湖光島影」
...幽邃(いうすゐ)なる寺院の境内より漏れ聞ゆる僧侶が讀經の聲と梵鐘の響とは古雅なる堂塔の建築と相俟つてこゝに森玄なる宗教藝術の美がつくり出される...
永井荷風 「十年振」
...頼朝寄進の薬師堂塔...
中里介山 「大菩薩峠」
...平泉館一名奥御館(おくみたて)の外に清衡の築いた柳の御所、秀衡のいた伽藍(きゃら)の御所、後に義経が頼朝に追われて来て入った高館などの大建築があり、外に家の子郎党の屋敷が軒を並べ、西方には中尊寺、光堂(これは今でも残っております)南方には毛越(もうつ)寺などの巨刹(おおでら)があり、堂塔十、坊舎千という、今から想像もつかぬ繁昌でしたが、義経をかくまった為に、頼朝の怒を買い、文治五年(今から七百四十五年前)天下の軍勢を引受けて戦い破れ、兵火の為に、殆(ほとん)ど残るところなく焼かれてしまったのでした...
野村胡堂 「水中の宮殿」
...この時は又 奥山の白銀の気が堂塔をあまねく閉す朝ぼらけかな などいふ響のいい歌も出来てゐる...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...民家から堂塔仏舎は惜しみなく毎日焼かれ...
吉川英治 「私本太平記」
...特徴のある堂塔(どうとう)や大きな河をのぞいては...
吉川英治 「新書太閤記」
...「――この一山には、三千の僧衆がこもって、真言(しんごん)を修め、経典を読んではいるが、堂塔も、碩学(せきがく)も、社会にとっては、縁なき石に等しい...
吉川英治 「親鸞」
...四十九院の堂塔伽藍(どうとうがらん)が御室(おむろ)から衣笠山(きぬがさやま)の峰や谷へかけて瑤珞(ようらく)や青丹(あおに)の建築美をつらね...
吉川英治 「親鸞」
...この十四宇と四十九院の堂塔伽藍(がらん)も実は何も持ちあわせていない...
吉川英治 「親鸞」
...堂塔内陣の墨縄は張りめぐらされ...
吉川英治 「親鸞」
...おそらく八百年前後このあたりは、熊野本宮の社殿を中心に、仏舎堂塔も、平安朝建築の精粋を極め、仮御所や社家僧房から随身の旅館、雑色(ぞうしき)たちの泊る聚落までを加えて、さながら山中の小京都ともいえる社会がここに営まれていたのではあるまいか...
吉川英治 「随筆 新平家」
...彼等の伽藍(がらん)堂塔(どうとう)は一夕(いっせき)に焼きつくして...
吉川英治 「源頼朝」
...これらの堂塔の大きさは...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...いわんやあの巨大な堂塔・仏像の造立は...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...また根本中堂をはじめ山上の堂塔四百余をも余すところなく焼き払った...
和辻哲郎 「鎖国」
...仏像堂塔の類は真理への道に何の益するところもない...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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